Cast a spell of love on me.
運命など存在しない、そんなことを言ったら松田くんは否定すると思う。しかし私はそう思ってしまう、感じてしまうんだ。たまたまそばにいたのが私だったから松田くんは私に依存するかのようにそばにいるだけだ。運命なんてものが存在したら萩原くんが惨めで残酷な運命じゃないか。そう思って松田くんの腕の中で松田くんが縋るように私を抱きしめる。まるでどこにも行くなと言っているように思える。これは恋だの愛だのそんなものではない、ただの依存されているだけだ。それは松田くんの煙草に対しての感情と同じだ、ただそばにいたのが私だっただけ。そう思わないと過剰に思えてしまうから。松田くんの腕の中は一番息がしにくい場所で、一番そこにいたかった場所だ。
大学に在籍中、松田くんと萩原くんは有名だった、工学部には二大イケメンがいると噂されていて理学部の私はその噂を耳にしただけで見に行こうとは思わなかった。たまたま食堂で見かける程度で何も関係などなかった。ただ目の前の課題に必死でやりこんで、今が一番楽しいと思うほど勉学に打ち込んでいた。そんな頃に食堂で空いていた席に座って一人でご飯を食べていると声をかけられた。
「ここ、空いてる?」
顔をあげるとそこにいたのはトレーを持っていた萩原くんと松田くんだった。
「空いてるよ」
「じゃあ座っていい? 座る場所なくて」
「いいよ」
そう言うと萩原くんはほっとして私の目の前の席に座った、松田くんは萩原くんの横の席に座って目の前の今日の日替わり定食である生姜焼きを箸で食べ始めた。私は喋ることもないだろうと思ってご飯を食べていると萩原くんから視線を感じる、顔をあげると萩原くんは私を見ていた。
「どうかした?」
「いや、何学部?」
「理学部数学科」
そう言うと萩原くんは納得したかのようにして頷いた。
「数学科ってなにしてるの?」
「一足す一は本当に二なのかを確かめてる」
「え?」
「数学科以外の人、みんなその反応するよね」
そう言って笑うと萩原くんはつられて笑って私を見た。萩原くんの方はコミュニケーション能力が高く女子にモテやすいイケメンだと聞いていた。対して松田くんは誰にでも喧嘩腰で仲良くなったら普通に喋るイケメンで対極的だと噂では聞いている。確かに萩原くんは誰にでもよく喋る人だ。そう思いながらご飯を食べ終えてそのまま片付けようとして席を立とうとすると萩原くんは私を見て携帯を取り出した。
「もしよかったら連絡先交換しない?」
「なんで?」
「俺としてはこれからも仲良くしたいなーって思ったから」
「まぁ、いいけど」
携帯を取り出して萩原くんと連絡先を交換してそのまま席を立ってトレーを持って返却台まで返して席に置いておいた鞄を持って萩原くんと松田くんに手を振った。萩原くんは手を振り返してくれたが松田くんは素知らぬふりをしてた。まぁこういうところが女子にモテているかどうかなんだろうなと思った。
大学近くのコーヒーチェーン店で一人座って新作のフラッペを飲んでいた。店内は非常に混んでいて私はカウンターで一人座ってパソコンを開いていると横に誰かが座った、横を見ようとも思わなかったのでそのまま提出しなくはならないレポートをタイピング音を立てながら書いていた。すると横からうめき声が聞こえてきて思わず横をちらっと見てしまった。そこにいたのは前に一緒に食べた松田くんだった。
「……何してるの」
私の声に気付いて松田くんは顔をあげて私を見る。誰かわかっているのだろうかと思いながら松田くんを見る。
「……あー、この間の数学科の奴か」
「なに、工学部の松田くん」
「ここ、わかんねー」
そう言って指差した問題はどうやら共通授業科目の問題だった、それを見て私は鞄から紙を一枚取り出して数式を書きだすと松田くんが小さく歓声をあげる。
「これはこういうことだからこれでいいよ」
「おう、さんきゅ」
珍しく松田くんは笑って、そのまま次の問題に進んでいった。それを横目に私はそのままレポートを仕上げるためにパソコンに向かった。レポートは一段落ついたのでそろそろこの店を出るかと思ってパソコンを閉じる。横にいた松田くんを見ると真剣に問題を解いていた。喋ると残念なイケメンだと噂でもあったがそれは本当なようだ。私は横顔を一度見てそのまま帰る準備をしてパソコンをいつもの黒いリュックに入れてそのまま立ち去ろうとしたら松田くんと目が合った。
「帰んのか?」
「うん」
「じゃあな、気をつけろよ」
そう言って松田くんは手を振って私を見送った。私も手を振ってそのまま帰路に就いた。松田くんは人見知りな部分があるかもしれないと静かに分析した。
三回目というものは案外すぐに訪れた。私が食堂で席を探しているときに声をかけられた。そちらを見ると松田くんと萩原くんがいた。
「何してんだ」
「席を探してたの」
「俺の前空いてるから座れよ」
「いいの?」
「いいから言ってんだよ」
そう言って松田くんは笑った。私は言われるがまま席に荷物を置いてメニューを選んでその席に戻った。萩原くんは物珍しそうに松田くんを見ていた。
「もしかして俺のいない間に仲良くなった?」
「この前の課題、教えてもらったんだよ」
「ああ、学科の中で松田しか解けなかったやつ?」
そう話しているのを聞きながらスプーンを手に取った、今日はカレーの気分だったのでカレーを選んだ。それを一口一口食べていると萩原くんは笑った。
「もしよかったらこれからも陣平ちゃんと仲良くしてやってよ」
「は?」
松田くんの低い声が聞こえて私はなぜ仲良くしなくてはならないのかわからないまま萩原くんの言葉に首を傾げた。
「松田くんは私より友達多いから別に仲良くしなくてもいいと思うけど」
「いや、陣平ちゃんこう見えて友達少なくてね」
そう言う萩原くんに松田くんは低い声で萩原くんの名前を呼ぶ。私はそれを見ながらやはり仲が良いんだなと思ってカレーを食べていた。
「松田くんがいいならいいよ」
「だってよ、よかったな陣平ちゃん」
「だからなんで萩が口出しすんだよ」
講義を受けたあと友達も同じ時間に終わったらしく新作のフラッペが飲みたいから近くのコーヒーチェーン店に行こうと言われ頷いて行くことになった。コーヒーチェーン店に着いてそのまま店内でという話をしていたら声をかけられた、この声は多分。
「萩原くん」
「え、嘘、あの萩原くん!?」
「やっほー、もしかして新作飲みにきたの?」
友達は私に事情を説明しろと言わんばかりに私を見るが、私はそのまま店内を見渡してテーブル席を探していた。
「この子が新作飲みたいらしくて一緒に来た」
「そうなんだ、やっぱり気になるよね。何探してるの?」
「先に席取っておこうと思って」
「あー、この時間混むもんね」
そう話しながら四人掛けのテーブル席を見つけそこに荷物を置く。友達に先に注文をしてくるよう勧めて友達はそのままレジに向かって萩原くんはついでに私が座った席の前に座った。
「ところで萩原くんはなんでここに来たの?」
「んー、陣平ちゃん待ち」
「新作出てるし人も増えるから場所変えたほうがいいよ」
「まだ講義中らしくて連絡取れないんだよ」
そんな話をしていて友達が新作のフラッペを持ってこちらに来た。
「お待たせ」
「私注文してくるね」
「じゃあ俺も注文しようかな」
そう言って萩原くんは私と一緒にレジに向かう。レジに並んでる途中で萩原くんに少し小声で話しかける。
「もしかして女の子苦手?」
「いや、好きなんだけど初対面で二人きりってキツいじゃん?」
「まぁ確かにわかる」
そう話して順番が来てドリップコーヒーを一つ頼んでそのまま会計をしてレジで手渡されてそのまま友達のところに行く。
「いつ萩原くんと仲良くなったの」
「えー、食堂で?」
「私も食堂で食べるけどあんなイケメンと仲良くなれませんが?」
友達に凄まじい目で見られながらドリップコーヒーを飲む。口をつけた場所を指で拭うと萩原くんがこちらに来た。
「やっぱ待ち合わせ場所変えるわ、ありがとう」
「何もしてないからいいよ」
「じゃあね」
「バイバイ」
そう笑って手を振って萩原くんは去っていった。
「いいな、私もイケメンの友達が欲しい」
「恋人いるのに」
「それとこれとは別」
友達に萩原くんと仲がいいと認識されて以降萩原くんの連絡先を教えて欲しいという連絡が増えた。自分で聞けばいいのにと思いながらあしらっている。萩原くんもそんなことをされたら迷惑だろうと思って私はしないようにしていた。そんなことを思いながら一人で学食で食べていると目の前に誰か座った。誰だろうと思って顔を上げるとそこにいたのは松田くんだった。
「声かけくらいはしようよ」
「座ってもいいかって聞くといいよって答えるのが目に見えてわかったから」
「まぁいいけど、萩原くんは?」
「さっき女子に連れて行かれてた」
「萩原くんも大変だね」
そう言って今日の日替わり定食のサバの味噌煮を箸でほぐして一口大にして食べる。
「松田くんは告白とかされないの?」
「されないだろ、あんな奴が横にいたら俺なんかイケメンでも霞むだろ」
「確かに」
「否定しろよ」
軽く笑いながら松田くんを見る、松田くんもイケメンなのにな、そう思いながらご飯を食べ進める。
「そういうお前はどうなんだよ」
「何が?」
「告白とかされないのかよ」
「何回かはあるけど全部知らない人だから断ってる」
「へぇ」
「知らない人と付き合うなんてなんか嫌じゃない?」
「確かにな」
そんなことを話しながら食べ終えて松田くんを見る。松田くんは目の前の生姜焼き定食に夢中だ。
「松田くんもいい人なのにね」
「いい人だからって告白するかしないかで言ったらしないだろ」
「いい人止まりなの?」
「どうなんだろうな」
そう言って松田くんは私を見て笑った。
萩原くんと連絡先を交換したけど松田くんとは連絡先を交換していないなとふと思いながら友達の横で友達の話を聞いていた。どうやら恋人に浮気疑惑があるらしい、大変だなと思いながら友達の愚痴を聞いていると萩原くんが視界に入ってこちらに気付いて手を振ってきた。目の前の席に座っている友達に断りを入れて萩原くんに手を振る。友達が後ろを振り向いて萩原くんを見てあーという顔をして私を見る。
「そういえば萩原くんと仲良いよね、萩原くん恋人とかいるの?」
「いたら誰とでも連絡先交換しないでしょ」
「萩原くん慎重に連絡先交換してるらしいけどね」
「へぇ」
「興味なさそう」
「興味ないし」
友達は目の前の自分の携帯をジト目で見ていた。女の勘というやつが反応しているらしいが、それは不確かなものであるため友達は証拠を集めるためにどうすべきか考えていた。私はその話を聞きながら恋人にこんな思いをさせてしまう奴なんか別れてしまえと言いたいところだったが黙っていた。所詮他人の恋愛に口を突っ込めば馬に蹴られるということわざがあるほどなので私は黙っていた。
「で、確証は得られたの?」
「まだ、勘繰ってるんだけど証拠と現場で確認したいので」
「それは大変だ」
そんな他愛もない話をしながら友達の携帯を見ていた。すると連絡が来てそれを見て友達は鼻で笑って携帯画面を閉じて笑った。
「黒」
「早いね」
「そう? 私に意味のない人に付き合うほど私は暇じゃないから」
「そういうところ好き」
そう言って笑って友達の好きなケーキを一口サイズにフォークで崩して友達に口を開けてもらって口に放り込んだ。友達はそれを咀嚼してそのまま食べていた。
「味はする?」
「するよ、美味しい」
「ならいいよ」
そう言って私は笑った。
友達は恋人と別れたらしい、浮気をする人とは付き合えないと言って別れたらしい。彼女らしいなと思いながら目の前の松田くんを見る。食堂で一人でご飯を食べていたらまた無言で松田くんが目の前に座って今日の日替わり定食を食べていた。
「ねぇ、松田くん」
「なんだよ」
「恋人がいるのに浮気する人ってどう思う?」
「最低な奴だな」
「そうだよね」
「どうしたんだいきなり」
「友達の恋人が浮気したので別れたという話を聞いて」
そう言うと松田くんは私を見た。
「それって俺と同じ学科の奴か? 浮気してたらバレて恋人と別れたって聞いたぞ」
「うーん、世間は狭い」
「別れて正解だろ、そんな奴に割く時間がもったいない」
そう言って松田くんは今日の日替わり定食を食べていた。
「松田くんは誠実だからそんなことしないだろうね」
そう言って笑うと松田くんはきょとんとして笑った。
「そう思ってくれてるなら光栄だな」
萩原くんと仲が良いということは松田くんと仲が良いということは繋がらない。逆もしかり。そんなことを思いながら萩原くんを見ていた。今日は女子に囲まれていた。萩原くんは身長が高い、女子に囲まれているのも相まって目立っている。その光景を見ながら横を通り過ぎようとしたら萩原くんが私の名前を呼んで私を引き留めた。面倒だなと思いながら女子のジト目を受けて萩原くんが安堵したかのような顔で話し出す。
「よかった、探したんだ」
探していたとは、そう思って萩原くんを見ると話を合わせてほしいと顔に書いてあったので適当に返事をしてそのまま萩原くんの話を合わせる。そして女子が各自バラバラになっていなくなったところで萩原くんが苦笑いをする。
「ごめん、合わせてくれて」
「いいよ、気にしないで」
そう思ってもいないことを言って私も苦笑いを浮かべる。
「ところでこの後用事あったりする?」
「私は今のところないよ」
「今から松田連れて三人でご飯食べに行かない?」
「……はい?」
松田くんが待ち合わせ場所に来て挨拶もそこそこに向かう場所は大学から少し離れたカレー屋さんだった。
「ここのカレーが本当に美味しくてな」
「一回二人で来たけど本当に美味しかったんだよ」
「そうですか」
萩原くんの奢りで私はバターチキンカレーにナンをつけて頼んで食べている。確かに萩原くんの言う通り美味しい、そう思いながら萩原くんと松田くんの会話を聞く。どうやら二人は小学生の頃から仲が良いらしい、今は小学生の頃の話をしている。私は大学からの知り合いなのでそれを聞くのみだった。
「ところでお前はどんな小学生だったんだよ」
「えー、あー、普通の小学生だったよ」
松田くんにいきなり話題を振られ私は適当に答えた。萩原くんは私と松田くんをにこやかな目で見る。
「陣平ちゃんに友達が増えてよかったよ」
「お前は俺の母親かよ」
ごもっともな発言をしている松田くんを見ながらカレーを食べる。美味しいので今度また来ようかな、そう思っていると松田くんが携帯を取り出して私に差し出していた。意味が分からず松田くんを見ると松田くんは口を開いた。
「連絡先知らねえから交換するぞ」
「なんで?」
その言葉に萩原くんは腹を抱えて笑い出してしまった。何故笑う。その後強引に松田くんと連絡先を交換させられた。
大学を卒業して、松田くんと萩原くんは警察学校に入学して私は一般企業に就職した。どうやら警察学校では携帯は没収されるらしく大変だなぁと思いながらたまに連絡が来る程度になった。松田くんの情報曰く相変わらず萩原くんはモテているらしい、あと金髪褐色肌のイケメンやら弟属性のイケメンやら彼女持ちの強面なイケメンもいるらしい。イケメンの周りにはイケメンが集まるのか、そんなことを思いながら松田くんとやり取りをしていた。松田くんはこまめに連絡をくれる、萩原くんからも連絡は来るが松田くんほどではない。そんなことを思いながら携帯を見ていた、連絡がまめな男はモテやすいはずなんだけど、そう思いながら松田くんからの連絡を返していた。
久しぶりに萩原くんと松田くんから飲みに行かないかと連絡が来た、どうやら所属先が決まったらしくその報告会みたいなものだと思ってそのまま普通に了承した。そのまま指定された居酒屋に行くと、萩原くんと松田くんがもう来ているらしくそのまま店員に案内されて個室に入るとそこにいたのはもう酔っている松田くんとそれを笑って見ている萩原くんだった。
「……なにしてるの」
思わずドン引きした声で聞くと萩原くんが私に気付いて手を振る。
「松田、もう酔っぱらっちゃった」
そう悪びれた様子もなく萩原くんが言うため私は溜息を吐いた。
「で、なんで酔わせたの」
「俺のせい?」
「松田くんがここまで飲むわけないでしょ」
「やっぱり洞察力高い」
そう言って萩原くんは困ったように笑った、私はそんな萩原くんを見る。多分、いやこれは絶対に萩原くんは私に言いたいことがある。
「松田陣平のこと、どう思っている?」
その言葉を聞いたのは二度目だった。
それは大学在籍中、松田くんが卒論が完成した記念に居酒屋で飲み松田くんが馬鹿みたいに飲みすぎて潰れたときに聞いた言葉だ。あのとき、私はただの男友達だと答えた記憶がある。それを萩原くんは聞いていたはずだ、なのにどうしてその言葉を放ったのか。まるで、私の気持ちを見透かしているようだった。
「萩原くんそれ二回目だけど」
「そう? 俺としては何度でも聞きたいけど」
その言葉に私は気味が悪い笑みを貼り付けて萩原くんに私の気持ちと反した言葉を放つ。
「ただの男友達だよ、これからもそう」
私は松田陣平が好きだ、恋愛感情で。
いつから好きになったのかは覚えていない、ただいつからか好きになっていた。私はその感情を隠し続けると決めていた、松田くんは私のことなど好きではないとわかっていたから。ただの気が合う女友達、そう思われているとわかっていた。だからこの気持ちを松田くんに伝えるつもりはない。咲かない花だとわかっている、今は蕾の状態だともわかっている、だから摘むのだ。この気持ちを隠し続けると決めたときから、私はこの想いを萩原くんにも伝えるつもりなどない。そう思って萩原くんにも嘘を吐くのだ。鼻が高くなっても、私はそう決めたから。萩原くんは納得がいかない顔をしているが私はそれを見て笑った、可笑しいかのように。
そのまま解散して酔っぱらっている松田くんを引きずるように萩原くんは寮に帰って行った。そのまま踵を返して近くの駅へ向かい自宅の最寄り駅まで電車に揺られる。萩原くんはもう私の気持ちに気付いているようだ、少し面倒だなと思いながら移り行く景色を見ていた。萩原くんがどう思ってああいうことをするのかはわからないけど、私はこの想いを大切なものを入れるように硝子の瓶に入れてそのまま床に落として、そのままその想いが見つからないようにするしかなかった。そうしなければこの想いが見つかると思ってしまったから。
萩原くんが死にかけた。
そのことを知ったのは松田くんからの電話だった。松田くんは感情を殺すような声で、私に連絡をしてきた。萩原くんはまだ目覚めてないらしい。病院に向かってエントランスで松田くんと待ち合わせをしてそのまま松田くんに案内され萩原くんの病室に行く。集中治療室に入っているらしく面会は出来なかった。ただ松田くんの様子が可笑しいことが気がかりだった。親友が死にかけた、その事実は松田くんに大きくのしかかっているのだろう。私はどうすべきかわからず、松田くんを見ていた。帰り、松田くんは私を家まで送ってくれた。なんと言葉をかければいいかわからず松田くんを見る。松田くんは私の視線に気付く。
「なぁ、何もしないから部屋に入っていいか?」
その言葉に頷いて松田くんを借りているアパートの部屋に入れる、狭い玄関で松田くんは私を自分の腕の中に入れた。その行動に私は大きく目を開いた。まるで、どこにも行くなというように強く抱きしめる。どうして、なんで、そんな言葉が頭の中で巡る。摘んだはずの蕾がまるで咲くことを期待しているかのように期待が膨らむ。違う、違うと冷静な自分が叫ぶ。これは、萩原くんを失いかけた松田くんが恐怖で私に縋っているだけだ。これは恋愛感情なんかではない、だから、期待するな。そう自分に言い聞かせて手のひらに爪を立てた。
松田くんが帰った後、私は震えていた。恐怖ではない、歓喜で震えていた。松田くんに抱きしめられた、それだけで身体が震えるほどうれしい。頭ではわかっている、松田くんから私への恋愛感情はないと。だけど私は勘違いしてしまうほど嬉しかった。気持ち悪い、こんなに自分が気持ち悪いと知らなかった。こんなに愚かで醜く、気持ち悪く、汚い感情だったのか、恋という感情は。歓喜で震える身体を私は落ち着くために自分で抱きしめた。気持ち悪い感情を持っているなんて松田くんに知られたら、この関係は終わる。だから、私は早くこの想いを捨てなくてはならない、そう考えていた。
かぼちゃの馬車を用意された訳でもない、用意されたのは私の足に合わないガラスの靴、だからこの関係は歪だった。松田くんの要求はほんの少しずつエスカレートしていった。一線を超えた関係になった、許していない場所はただ一つ、私の唇だけ。
私が拒めばよかったのに、松田くんに抱かれる度にそんなことをいつも考えてしまう。ベッドの中で性行為が終わっても腕の中にしまい込むように私を抱きしめる松田くんに対して、背中に腕をまわせなかった。そんなことをしてしまったら、松田くんは私を拒絶するんじゃないかと怖かったから。松田くんの目の下には隈があって、ちゃんと寝れないんだろうと思いながら松田くんの腕の中にいる。この関係は依存という言葉が一番しっくりくる。体温を知る度に松田くんを好きになっていく、松田くんの鼓動を感じる度に罪悪感を感じる。松田くんに嫌われたくない、だから松田くんに身体を許してしまった。自分が一番、松田くんに依存しているとわかると嫌気がさした。恋人でもないのに、こんなことをして、馬鹿みたい。目を閉じて松田くんの体温を感じた。
たまたまそばにいたのが私だったから、こんな関係になったんだと思う。それが私以外だと考えるとどうだったんだろうか、それを考えるときはいつも答えのない問題を解いているような感覚だった。それと同時に醜い嫉妬心が生まれた。もし私以外が松田くんに触れられていると考えると、それを考えるだけでも自分がいかに醜いかがわかる。松田くんが何を考えているのかはわからないけど、時折運命を信じているようなことを言っていた。多分、運命を信じているのだろう。そんなことを思いながら、萩原くんが目を覚ましたという連絡を本人から受け取った。その直前から松田くんからの連絡が途絶えた。歪な関係は約三カ月で終わりを迎えた。
萩原くんが目を覚ましたという連絡を受けてから一週間後に萩原くんの入院している病院に行って受付で病室を聞いてそのままエレベーターであがって萩原くんのところまで向かった。扉をノックして許可をもらい病室へ入る。
「お久しぶり」
「心配したよ」
「いやー、ごめん」
萩原くんは変わらずにいて、それに少しだけ安堵した。お見舞いのために購入した日持ちするお菓子を渡す。
「気にしなくてもいいのに」
「手先は大丈夫なの?」
「前みたいに動かすためには時間がかかるって」
「元の部署に戻る予定?」
「そのつもり」
そんな他愛もない話をして萩原くんがふと視線を下に落とした。どうかしたのかと思って口を動かそうとしたら萩原くんが先に口を開いた。
「松田に、死にかける前に電話していて、死んだときは仇を討ってくれって冗談めいて話したんだ」
「……うん」
「松田は俺が目覚めてから一度も顔を出してくれなくて、それを思い出して俺なんてことを言ったんだろうって後悔してる」
声が震えていた、萩原くんは後悔しているのだろう。たった一人の親友が冗談であるはずの仇を討つためになにかをしていることを知っているのだ。私は萩原くんと松田くんの間に入ることが出来ないとわかっていたはずなのに、どうしてか距離を感じてしまった。
それから最低でも二週間に一度、萩原くんの病室に行っていた。萩原くんはあれ以降空元気のように笑っていて私は何も言えなかった。何と言葉をかければいいかわからない私はただ萩原くんの様子を見に行くことしか出来なかった。そんなある日、萩原くんのお見舞いに行き、病室の扉の取っ手に手をかけようとしたら病室から荒げた声が聞こえた。
「俺はそんなことを求めたわけじゃない!」
この声は萩原くんだ、怒っている声を聞くのは初めて。そんなことを思いながら、萩原くんが怒っている相手がすぐに誰だか分かった、多分否絶対に。
「俺が決めたんだ」
松田くんだ。私は踵を返してそのまま病室から逃げるように来た道を戻って行った。二人が何を話していたのかはわからない、だけど私がそこに口出しをしていい関係ではないことくらいわかっていた。だから逃げた、それだけのこと。そう思って心臓がいつもより速く動いているのを感じていた。
それから萩原くんからの連絡を無視した。
自分でもわかっている、傲慢だと。だけど、萩原くんからの連絡に返信をすることが出来なかった。松田くんにも、萩原くんにも、顔合わせ出来ないとどこかで思っている自分がいる。こんなことになるのなら、最初から関わらなければよかったのに。そう思って枕に顔を埋めて枕を濡らした。
久しぶりに友達に会うことになった、どうやら今お付き合いしている人と結婚することになったらしくその報告も兼ねて会うことになった。メイクで顔色が悪いことと隈を隠して、待ち合わせ場所に向かう。友達はもうすでにいて私を見て笑った。
「久しぶり、元気?」
「そこそこ、そっちは?」
「元気だよ」
そう言ってにこやかに笑う友達を見てどこか心が焼かれた。
そのまま食事でもしようと言って友達が予約した店に行き、そこで食事をした。友達の話を頷きながら聞いてそのまま頼んだパスタを口に入れ食べていると友達は笑って聞いてきた。
「ところでなんで調子が悪いの隠してるの?」
その言葉に私は持っていたフォークを落とした。
「メイク、上手になってるね。顔色悪いの私じゃないと見抜けないかも」
そう言って困ったように笑う友達に私は何も言えなかった。
何から話せばいいかわからなかった、松田くんとのこと、萩原くんとのこと。全部人に言えることではなかったから。だから友達にも隠さなくてはならないと思っていた、友達はそんな私を見て笑う。
「昔、というか大学生の頃私の恋人が浮気してたの覚えてる?」
「うん」
「そのときね、貴方がいたから別にいいって思えたんだよ。私は貴方を信用してるし信頼してる。私に言えないことなら話さなくてもいいけど、貴方のこと心配してるってことだけは伝えたい」
そう言ってお冷を飲んだ友達に、私は口を開いた。
話し終えると友達は笑って私を見た、その顔はとても優しかった。
「話してくれてありがとう」
「……ごめん、隠してて」
「まぁ松田くんとセックスフレンドみたいな関係になってたことは驚いた」
そう言って友達は指を立てて話し出した。
「まず萩原くんとの関係修復をしよう、その後松田くんとちゃんと話すように」
その言葉に私は頷いた、友達はよしと言って再度笑った。
萩原くんに連絡をした、するとすぐに返信が来て空いてる日を教えてくれて私の空いてる日と重なっている日を送り返してその日に会うことになった。その日になって来たのは萩原くんと髭の生えた男の人だった。
「やっほー、ちょっと俺だけじゃ嫌かなと思って連れて来た」
「気にしないのに」
「いや、ちょっと俺だけだと……」
萩原くんが言葉を濁しているので私は何とも言えなくて髭の生えた男の人をちらりと見る。
「どうも、こんにちは」
「こんにちは」
「萩原の彼女だったりする?」
「彼女じゃないです」
「俺の彼女だったら諸伏ちゃん連れてこないって」
そう言って萩原くんは困ったようにする。
「ここじゃ話しにくいし店入ろっか」
その提案に私は頷いた。
どうやら個室がある店を用意したらしくちょっとだけ背筋を伸ばした。
「気にせずゆっくりして」
諸伏さんはそう言ってメニュー表を開いた。私は萩原くんを見るとゆるっとしてたのでメニュー表を覗き込む。お昼の時間だったのでランチメニューを見てそれぞれ好きなものを頼んでそのまま出されたお冷を飲む。
「萩原と仲がいいってことはもしかして松田とも仲良かったりする?」
「まぁ、一応」
「俺より松田の扱いわかってるかもしれない」
「あー、今の松田は何言っても聞かないしな」
「松田くんとは、連絡してないよ。というか途絶えてる」
そう言って困ったようにして笑うと萩原くんが私をじっと見る。
「もしかして、俺が入院している間に松田となんかあった?」
萩原くんにはちゃんと話さなくてはならない、そう思って口を開いた。
「松田くんと、何度か性行為した」
「……は?」
萩原くんが口をぽかんと開けてしまった、諸伏さんは私に恐る恐る尋ねるように聞く。
「ちゃんとお互いの同意有りで?」
「うん」
「ちなみに松田とはどんな関係だったの?」
「多分、ただの友達」
そう言うと諸伏さんは首を傾げた。萩原くんは口を開けたままぽかんとしている。
「萩原くんにちゃんと話せばよかったんだけど、話しにくくて」
「それは話しにくいよな」
「待って、松田がきみに手を出したの?」
「まぁ、うん」
萩原くんは頭を抱えてしまった。諸伏さんはそんな萩原くんを見て困ったようにして笑う。
「どんな関係かは萩原のまた聞きでしかわからないけど、松田のこと、どう思ってるの?」
「恋愛感情で、好き」
そう言うと萩原くんはぴたりと止まった。諸伏さんは萩原くんをちらりと見る。萩原くんは私を見て口を動かした。
「そっか、うん、ありがとう」
そう言って萩原くんは笑った。私は意味が分からずただ首を傾げた。
「ところで、俺がいる理由って何だったの?」
諸伏さんが困ったようにして萩原くんに聞く。私も気まずそうにしている諸伏さんに申し訳なさを感じていた。
「まぁ、松田に二人で会ったって知られたらあとあと面倒だなって思ったから」
そう言った萩原くんの言葉の真意がわからず、私は首を傾げたが諸伏さんは納得したようにして頷いた。
松田くんからの連絡が途絶えてから約四年が経過した。年月が経ったなと思いながら目の前の爆弾を見ていた。
友達が出産をして米花中央病院に入院中にお見舞いに行き、帰りに見慣れない紙袋が置いてあり見るつもりはなかったが中身が見えて、爆弾だとわかった。米花町では犯罪率が高い、爆弾があるということもあったりする。すぐに病院の職員に伝えて、警察を呼んでもらった。警察が来てその中に萩原くんもいて、それを見ながら第一発見者として警視庁に行くことになった。そしてすべて終わって警視庁から出るとき、松田くんを見かけた。松田くんの隣には女性がいて、それを見て胸が痛くなった。その痛みに知らないふりをして警視庁から出た。帰ろう、そう思った。最寄駅に着いて歩き、借りているアパートの階段を上ってそのまま自分の部屋まで行き、鍵の施錠を外した。部屋に入り、鍵の施錠をかけて、靴を脱いで浴室に向かい化粧を落としてシャワーを浴びて服を着替えてそのままベッドに沈んだ。このまま胸の痛みから逃れたくて眠気に抗わなかった。
目を覚ますと携帯の画面が光っていた。誰だろうと思って携帯の画面を見ると、松田陣平という名前があった。今になって、どうして連絡をしてきたのだろうか。チャットアプリを開いて何が来ていたのか確認すると今からこちらに行くという連絡が一時間前に来ていた。もうすぐ着くという連絡も来ていた。どうしていきなり、そう思っているとチャイムが鳴った。多分、否絶対に松田くんだ。携帯も通知を知らせるために音が鳴った。今、アパートの部屋の前にいると来た。化粧もしていない、人に会うための服じゃないのに玄関まで来た。扉のドアスコープを覗いて松田くんであることを確認して、扉の施錠を外した。扉を恐る恐る開けると松田くんがいた。松田くんは私を見て、器用に玄関に入り扉を閉めて私を腕の中にしまい込むように抱きしめた。なんで、どうして、そんな言葉が頭の中で回る。松田くんの体温は忘れていたはずなのに、どうしてか身体が覚えていた。松田くんが目の前にいて、私を抱きしめている。その事実が私の涙腺を緩ませる。今更どうしたと突き放せばいいのに、それが出来ない。わかっている、今でも松田くんが好きだから。松田くんは腕の力を弱めて私の顔を見る。松田くんの暗い海のような瞳に今にも泣きそうな私の顔が映っていた。松田くんが私の名前を冷蔵庫にある甘いものを全部煮詰めたような甘ったるくどこかウイスキーのような苦さを含む声で呼ぶ。
「遅くなって悪かった、順序がおかしいのはわかってる。だけど、好きだ、愛してる」
その言葉は私が一番聞きたかったものだ。それだけで嬉しくなってしまう、自分でも可笑しいくらいに。目から涙がぽろぽろと零れ落ちていく。涙を止めようと手で拭っても止まる気配はない、そして松田くんが身体から手を離して私の手を掴む。そして一度も触れさせたことがない私の唇に唇を重ねた。私はそれを拒まなかった。