四年間分の愛の居場所

「陣平くんは、私がいなくなっても気付いてはくれないから」
 萩原くんにそう言って、私は困ったようにして笑う。困っているのは萩原くんなのに、そんなことを思いながら氷が溶けて氷同士にぶつかってからんと綺麗な音を立てた。その音がやけに耳に残っていた。

 二年前に萩原くんが死にかけた、それは呆気もなく唐突に起きたことだった。陣平くんの彼女であった私は、陣平くんと萩原くんの仲の良さを知っていたから陣平くんを心配した。口数が減って、連絡をしても返信が返ってこず、いつしか連絡をするのが陣平くんにとって迷惑なんじゃないかと思うようになって連絡をしなくなった。

 愛は呪いみたいなもの、誰かがそんなことを言っていたことを思い出す。恋は、どうだったか思い出せない。ただもし、愛が呪いなら私は陣平くんを呪っていたのだろうか。こんな意味もないことを考えて鳴りもしない携帯の画面を眺めていた。前はよく陣平くんから連絡が来ていたのに、今では音沙汰もない。私は今の陣平くんにとってどんな存在に変わってしまったのかわからなくなった。

 陣平くんと付き合うことになったのは高校の卒業式で告白を受けたからだ。あのときの陣平くんは高校で一番モテていると言っても過言ではない萩原くんの親友ポジションにいた。対する私は目立っていたわけでもなく陣平くんと三年間一緒なクラスだったという共通点しかなかった。席が隣になるわけでもなくただのクラスメイト、それ以上でもそれ以下でもなかった。だから告白されたときは私を認知していたことに驚いた。驚いて、頷いてしまった。これが私の最初の過ちだと思う。

 陣平くんがどんな人かは噂でしか聞いたことがなかった、喧嘩っ早いとか、短気だとかそんなことしか聞いたことがなかったため、陣平くんがどんな人かわからなかった。なのに付き合うことに頷いてしまった。陣平くんのことを好きだとかそんな感情はなかったのに、馬鹿な私だった。陣平くんを徐々に知るにつれて陣平くんを好きになっていく自分がいて、愚かだったと思う。その当時の私は抱いていた感情を綺麗なものだと思い込んでいた、所謂恋に恋する少女だった。今ではこんなに醜く汚く薄汚れた感情になるなんて、思いもしなかった。愛という感情は、呪いだ。

 陣平くんは、私のことを知ると嬉しそうな顔をする。それだけ好意を持っていてくれたのだろう、それがいつしか無くなっていくとは思いもしなかった。萩原くんが死にかけたということを陣平くんから聞いて、私は何と言えばいいかわからなかった。ここで生きていてよかったねだとか、心配だねだとか、そんな安っぽい言葉をかけるべきではないと目に見えてわかったからだ。陣平くんは今にも死にそうな顔をしていた。それと同時に陣平くんの中で萩原くんという存在は大きいとわかった。私は陣平くんの中で萩原くんと同等の存在にはなれないと一瞬で分かった。多分、否絶対に陣平くんの中で私より萩原くんのことを優先すると目に見えてわかった。だから連絡をするのを徐々に減らしていった。陣平くんはわかっているのだろうか、わかっていないのだろうな。そう思って陣平くんからもらった男物のバングルを手首から外した。

 萩原くんから連絡が来たのは萩原くんが死にかけたことを聞いてから二年後だった。珍しいと思いながらスケジュールを確認して空いてる日を知らせて、丁度いい日を萩原くんとすり合わせて待ち合わせ場所と時間を決めてその日になって萩原くんと会った。萩原くんは変わらず笑みを浮かべて私を見た。
「久しぶり」
「久しぶり、萩原くん」
「それじゃ、どっか店に入ろっか」
そう言って萩原くんは私より少し前を歩いて携帯を使ってお店を探した。萩原くんと二人で会うのは初めてだ、そう思っていつもバングルをつけていた手首を見る。今は何もつけていない。萩原くんは洞察力が高いからすぐに気付いただろうな。そう思って手首が見えないようにして萩原くんの跡を追う。いくら歩幅を合わせてくれているとはいえ身長差がありすぎるため私が少し早歩きをすれば間に合うくらい。そう思って萩原くんの後ろ姿を見ていた。

 萩原くん曰くいいお店を紹介されて、そのままお店に入って二人かけのテーブルに案内されて、稼働椅子ではない方のソファに座って萩原くんは反対側の稼働椅子に座る。
「ごめんね、いきなり呼び出して」
「ううん、いいよ。それでどうかしたの?」
思ってもいない言葉を口に出して萩原くんを見る、萩原くんはその前にメニュー表を持って先にメニューを決めようと言ってメニューを決めた。店員さんを呼んでお互いが決めたメニューを注文してそのまま視線を下に向ける。
「陣平ちゃんのこと、なんだけど」
多分そうだろうな、そう思っていた。
「彼女のきみから、言ってくれないかな。もう犯人探しをするのをやめろって」
陣平くんが何をしているのか、はっきりではなくおぼろげにわかっていた。萩原くんを死に追い詰めようとした犯人を捜しているということを。
「……萩原くんが言っても聞かないなら私の言葉を聞いてくれないよ」
「それでも」
「陣平くんは、私がいなくなっても気付いてはくれないから」

 萩原くんを困らせてしまったみたいだ。わかっている、これは萩原くんに対する当てつけだと。頼んだアイスコーヒーを飲んで横に置いた鞄から財布を取り出して一枚テーブルに置いて萩原くんに謝る。
「ごめん、今日は帰る」
そう言って萩原くんを置いて店から出た。萩原くんは私を追ってこない。所詮親友の彼女と彼氏の親友という関係だから。わかっているのに、私が萩原くんを傷付けたのに、私はまるで自分が傷つけられたかのような感覚で気持ち悪かった。

 それから萩原くんから連絡が来なくなった。当たり前のことだから、そう自分に言い聞かせる。そうしないと自分を保てなかったから。陣平くんの優先順位は私よりも萩原くんの方が上であることくらいわかっていた。私を優先してほしいなんて、言えなかった。わかりのいい彼女を演じているだけなんて、陣平くんは知らないだろう。知らなくていいことだ、そう思って鳴りもしない携帯の画面をずっと見ていた。どうせ鳴ることなどないとわかっているのに、鳴ることを期待しても意味がないのに、陣平くんからの連絡を待っていた。

 私は陣平くんが好きな煙草の銘柄を知らない、陣平くんにお前は吸わなくていいと言ったから。そんな理由だった気がする、よく覚えていない。もう、四年くらい前のことだから。陣平くんとはもう自然消滅したと言っても過言ではないくらい連絡をしていない。誕生日にもおめでとうという連絡すら来なくなった。私もするのをやめた、返信のない連絡をしても虚しいだけだから。そんなことを思いながら付けなくなったバングルを見る。捨ててしまえばいいのに、捨てられなかった。陣平くんのことを未だに想っているから。本当ならちゃんと連絡をすればいいとわかっているのに、しないのは自分が傷つきたくないから。陣平くんは、私のことをどう思っているのか。私は知りたいことすら聞けず、バングルをアクセサリーボックスに入れた。まだ大切にしていたかったから。

 街で陣平くんを見かけた、横には綺麗な女性がいてお似合いだった。それはそうだ、四年も連絡してこない無愛想な彼女より、綺麗な女性の方がいい。そう思ってあのバングルを捨てようと決めた。もう終わった関係だ、そう思うしかない、ないのに。どうして胸が苦しいのだろうか。来た道を戻り家に帰り玄関で蹲り、膝を抱えて涙を流していた。こんなにも陣平くんが好きだったのに、陣平くんはもう他の人と付き合っているのだろう。この想いをどう捨てればいいかわからない子どものような私は涙を流すしか術を知らなかった。

 涙が出なくなって、そのままお風呂に入ろうと思って湯舟にお湯を張った。そのままうとうとしていて眠気が来る前にお風呂に入ろう。そして明日、明日になったら陣平くんの連絡先を消して、萩原くんの連絡先もついでに消して、すがすがしい気持ちで笑おう。もういいんだ、疲れた。そう思ってお風呂に入った。

 携帯の音で目が覚めた。こんな夜に誰だろう、そう思って携帯の画面を見る。そこには松田陣平という名前が表記されていた。今更何だというのだ、そう思って電話に出ないでおこうと思っていたが意外にも長い。諦めて電話に出ると聞こえてきたのは萩原くんの声だった。

「……どうも」
「ごめんね、こんな夜に」
 萩原くんが申し訳なさそうに私に謝る。どうやら陣平くんは飲みすぎたようで萩原くんの支えがないと立てないくらいだった。萩原くんの話を聞くと仲のいい同期で集まって飲んでいたら陣平くんが過度にアルコールを摂取してこうなったらしい。そのまま警察の寮に行けばいいのに陣平くんは私を呼んでほしいと萩原くんに懇願したらしい。今更何だというのだろうか。そんなことを思いながら陣平くんを見る。萩原くんは困ったようにして笑い陣平くんに声をかける。陣平くんが私に気付いて萩原くんから離れて私に寄りかかる。そんなにくっついてると歩きにくいのだが。そんなことを思いながら陣平くんを支える。そんな私を見て萩原くんは笑う。
「前にさ、言ったこと覚えてる?」
「……まぁ」
「松田は、ちゃんときみのこと見てると思うよ」
そう笑って萩原くんは踵を返してそのまま歩いて行った。どういう意味なんだろう。

 陣平くんを無理矢理家まで連れて帰った。玄関で靴を脱いでもらってそのままリビングを通って寝室まで連れて来た。そのままラグの上に陣平くんを置いて最低限したメイクを落とすために洗面台に向かおうとすると手首を掴まれた。陣平くんは真っ赤な顔で私を睨んでいた。
「どうかした?」
「バングルは」
「は?」
「俺があげたバングルは」
呂律が回っていない、実は酔っていないのではないかと思ったが顔が真っ赤なのでそれはないと考えた。
「持ってるよ」
「ちゃんとつけてろよ」
そう言って陣平くんは黙ってしまった。顔を覗くと寝ていたのでこのままにさせておくかと思ってメイクを落としてシャワーを浴びて服を着替えてベッドに入った。

 目を覚ますと陣平くんが部屋にいて、あれは夢じゃなかったのかと思って身体を起こす。陣平くんはラグの上に放置したまま寝ている。意外にも寝相は良い方だと知っているのでそのまま足音を立てずに顔を洗いにいく。ついでに朝食も作るか、そう思って顔を洗って化粧水乳液を塗って、冷蔵庫を開ける。適当なものを出したら陣平くんは食べるのか、そう思いながら卵を取り出して目玉焼きを作るためにフライパンを手に取った。

 朝食が出来たので冷める前に陣平くんを起こそうと思って寝室に向かうと寝惚け眼で空中を見ていた陣平くんがいた。起きたのか、そう思って声をかけると陣平くんは私を見た。私の名前を呼んで返事をする。
「朝食作ったけどいります?」
「風呂に入りたい」
「……は?」

 湯船にお湯を張ってそのまま陣平くんを浴室に案内した。話を聞く限り最低一週間は風呂に入ってないと言われ、一応残しておいた服と下着を用意してタオルもついでに出して陣平くんを風呂に入らせた。相変わらずマイペースだな、そんなことを考えて先に朝食を食べていた。トースターで焼いた食パンをかじり、陣平くんが好きな半熟の目玉焼きを作ったことに気付く。馬鹿が過ぎる、そう思って目玉焼きを食べた。本当はちゃんと焼いた目玉焼きが好きなのに。ここまで感化されていたことに気付いて馬鹿だなぁと思う。お風呂に入らせてこのまま帰るって言ったらどうしようって思いながらテレビを見ていると陣平くんが浴室から出てきた。ちゃんと服を着ている。昔は下着姿で歩き回っていたから流石に成長してるなぁと思って食パンをかじる。陣平くんが私の前に座って目玉焼きを見た。少し嬉しそうである、それはそう、陣平くんは半熟の目玉焼きが好きだから。手を合わせてちゃんといただきますと言って食べる陣平くんを見て、何れ結婚したいと思ったことを思い出す。陣平くんとの関係の名前はなんだかわからなくなっていた。だから、ちゃんと聞こうと思った。すると先に陣平くんが口を開いた。
「なぁ」
「なに、かな」
「わるかった」
その言葉に陣平くんの顔を見る。陣平くんは申し訳なさそうな顔をして私を見ていた。
「四年間、連絡もしなかった。お前のことを後回しにし続けた。許してくれなんて言わない、だけど俺はまだお前の隣にいたい。隣に、いていいか?」
その言葉になんと返事をすればいいかわからなかった、四年間、ずっと連絡をしなかった男を捨てればよかった。だけど捨てられなかった。アクセサリーボックスに入っているバングルがその証拠だ。捨てたかった、捨てられなかった。陣平くんが今でも好きであるという証拠だ。馬鹿だと思う、こんな思いをするなら最初から告白を断ればよかった。だけど、今になって、告白を断らなかったことを後悔していない。こんなにも陣平くんが好きだから。
「ねぇ」
「なんだよ」
「今でも陣平くんのこと、好きなままだって言ったら、困らせるかな」
その言葉に陣平くんはぽかんとした顔をして、そして笑った。
「困るわけないだろ」
その言葉に私も笑ってしまった。

 それから朝食を食べて、陣平くんの携帯が通知を知らせた。陣平くんが嫌そうに電話に出て話している。それを見ながら大変そうだなと思って食器を片付けていると電話が終わったのか陣平くんがこちらを見た。
「ちょっと仕事行ってくる」
「頑張って」
「そのままこっちに帰る準備するから」
「寮に帰らないの?」
「……四年分の埋め合わせしてぇから」
そう言って陣平くんは笑って私の額にキスを落として耳元でボソッと囁いてそのまま鞄を持った。
「行ってくる」
その言葉でさらに顔が赤くなった。だって、これって、つまり。
「陣平くんの、馬鹿……!」