一目惚れの代償
同じ時間、同じ電車、同じ車両でよく見かける男の子がいる。名前も学年も通っている学校も知らない、知っているのは同じ駅に降りるということだけ。喋ったこともない、声だけ知っている。そんな彼は私のことなど知らないだろう。私が一方的に知っているだけ、関係などない。同じ駅というだけではどの学校かどうかはわからない、第一情報がそのことと学ランだけだとどの学校であるかどうかもわからない。いつも同じ時間の電車、車両に乗っているということだけはわかっている。最初はイケメンだなということでしか見ていなかった。ただ視線をやるといいつも同じ場所にいるため気になってしまい、いつしか視線で追うようになってしまった。
「まーた見てる」
声をかけられてそちらを見ると友達が横に立っていた。友達に苦笑して挨拶をすると友達は挨拶をそこそこに私を見る。
「また名前も知らない男子見てたの?」
「まぁ、うん」
「確かにイケメンだよね」
そう言って友達も彼に視線をやる。
「隣のチャラいイケメンもいいよね」
「そっち?」
ケラケラと笑いながら今日の小テストの範囲について話し出した。そしてくだらないことに話題が展開していって降りる駅が近付いてきた。持っていた英単語集をスクールバッグに入れて降りる準備をする。今日は雨である、傘の持ち手を握りしめてそのまま電車は降りる駅に着いた。そのまま友達と電車を降りて改札に向かう、先ほどの男子を無意識で探すとその男子と視線が重なった。初めてのことで思わず立ち尽くしそうになったがそのまま私は自然に視線を逸らした。そのまま友達を追って改札を出ていつもの出口を出て傘をさして学校に向かった。心臓がいつもより早くばくばくと動いている。多分初めて視線が重なって驚いただけだと思う。そんなことを思いながら自然を装って友達とくだらない話をした。
学校から家に帰るため、電車の時刻を調べていた。雨は朝より強くなっていて肌寒くスクールバッグに入れていた学校指定のカーディガンを羽織って駅の改札口付近で携帯を操作していた。すると騒がしい声が聞こえてきて少し視線をそちらに向けると朝、いつも同じ電車の車両に乗っていた男子がいた。帰りに遭遇することは今までなかったので驚きながらも視線を携帯に移す。声をかける勇気などない、かけてもストーカーと間違えられたら嫌すぎるし。いや、ストーカーかもしれないなんてことを頭の中で自問自答してお目当ての電車の時刻を見つけた。その電車に乗るまで時間はあと少し、改札を通ろうと思って携帯をカーディガンのポケットに入れて、代わりに定期を取り出して自動改札機にかざしてそのままホームに向かう。ホームについて電車が来るまで傘の持ち手部分を握っていると隣に誰か立った。ちらりと視線をやると例の男子だった。びしょ濡れで学ランを脱いでいた。傘を持っていなかったのだろうか、そんなことを思いながら視線に気付かれる前に下を向いた。電車が来るまであと少し、そう思っていたら盛大なくしゃみが聞こえて思わずそちらを向いてしまった。くしゃみをしたのは例の男子で私の視線に気付いて申し訳なさそうな顔をする。私はスクールバッグから持ってきていたタオルを彼に差し出す。
「これ、よかったら使って」
「は、あ、いい、のか?」
「いいから、風邪ひいちゃうよ」
そう言って笑うと彼は申し訳なさそうにタオルを受け取る。使っていないタオルだから汗臭いとかはないはず、そんなことを思いながら電車が来てドアが開く、私はその電車に乗り込むと彼もまた一緒に乗り込んだ。
「いつも同じ車両に乗ってるよな」
その言葉に私は目を丸くする、もしかして私の視線に気付いていたのか。そんな不安を心に持ちながら彼を見る。
「その制服、有名な女子校のやつだよな。だから目立って見えるんだよ」
そう言って笑ってきた彼に私は安堵した。視線に気付いていたわけではない、そう思って笑う。
「名前、聞いていいか? タオルも借りっぱなしじゃ俺が嫌だ」
そう言われ、自分の名前を名乗ると彼は私の名前を復唱して笑う。
「俺は松田陣平、よろしくな」
そうして私は例の男子、改め松田くんを知った。
次の日、いつもの電車、いつもの車両に乗る。すると私のいつも立っている場所に松田くんが立っていた。私は驚いて松田くんを見ると松田くんは悪戯が成功したような子どものように笑う。
「おはよう」
「はよ、ほらこれ」
綺麗な袋に入って渡されたのは昨日貸したタオルだった。ついでに些細な洋菓子店で買えるようなお菓子もついていた。
「気にしなくてもいいのに」
「母親が入れてたんだよ、気にすんな」
そう言って笑う松田くんに私は苦笑いを浮かべる。たいしたことをしたわけでもないのにな、そんなことを思いながら松田くんを見あげる。松田くんの身長は女子の平均的な私よりももっと高いので見上げるしか方法はなかった。
「松田くんって身長高いよね」
「そうか?」
「男子高校生の平均身長はわからないけど松田くんはそれより高そう」
「確かにな、いつも俺より高い奴が横にいるから感覚が麻痺してんだよな」
そう言って松田くんは困ったようにするので私は笑った。
「自分より身長がある人が横にいるなら感覚が麻痺するのも仕方ないかもね」
「だよな」
「そういえば松田くんはどこの学校に通ってるの?」
「あんたが通ってる学校の近くにある」
「あの学校なの? 意外と近くだね」
「あんたは学年は?」
「二年だよ」
「じゃあ同じだな」
そんな話をしていたら降りる駅になってしまった、そろそろ降りる準備をしなくてはならない。そう思っていると松田くんは笑って私を見た。
「じゃあ、メッセージを送ってくるの待ってるからな」
「はい?」
そう言って松田くんは扉が開いてそのまま先に降りて、私も降りると松田くんは先に行ってしまった。
どういうことだろう、そう思って貰ったお菓子が入った透明な袋を見るとその中には松田くんの連絡先が書いてあるカードが入っていた。
「どうすべき?」
「気になる男子に連絡先貰ったということは前世でなにをした?」
友達はジト目で私を見た、私たちが通っている学校は私立の女子校で私と友達は幼稚舎からの付き合いだ。どこか言動が変だが彼女特有のものだと思っていつも聞き流している。
「うーん、お菓子のお礼も伝えたいんだけど」
「気になるならメッセージ送れば? それから話が展開されていってあわよくば付き合っちゃえよ」
「なぜそこまで展開していく」
「気になるってことは好きだからでは?」
「そんな安直じゃないんだよなぁ……」
そう言って貰ったカードを見る、男らしい筆跡で連絡先が書いてある。こんなことをするってことは女慣れしてるのかな。硬派な人だと思っていたのにな、そんなことを思っていると友達は笑う。
「メッセージ待たれているんでしょ?」
「まぁ、それはそう」
「じゃあ送っちゃえばいいんじゃない? それで合う合わないはお主が決めることじゃ」
「いつも思うけどその口調は何?」
「気分」
そう言う友達に背中を押されてチャットアプリを開いて朝にもらった連絡先を検索する、するとすぐに出て来た。何故かアイコンがスパナで名前が松田陣平と記されていた。この人だと思ってメッセージを送った。人違いなら謝ろう、それか無視されるだろう。そう思って携帯の画面を消してスカートのポケットにしまって友達の話を聞いた。
放課後、携帯の画面をつけるとメッセージが来ていた。誰だろうと思って見ると松田陣平くんからである。どうやら人違いではなかったようだ。なんと返信しようか考えてたら横から声が聞こえた。
「もしかして例の彼?」
「うわっ!?」
横を見ると友達がいて私は驚いて変な声を出してしまった。友達はにまにまとしていて周りにいたクラスメイトはなんだなんだと言わんばかりに私を見る。
「気になる男子から返信来てさ」
「え、やるじゃん!」
「どんな男子?」
ここは女子校である、男子がいない環境で育っているため恋バナに食いついてくるクラスメイトが多い。私は友達を睨むと友達はにまにまとしていた。これでは解放されるのはもう少しだなと思ってため息を吐いた。
クラスメイトたちからやっと解放されて友達と駅に向かう、メッセージは返信しておいた。なんと返信が来るのかはわからないけど話せたからいいかなと思って友達を見る。
「今日はこのまま帰る?」
「んー、駅の近くにクレープ屋さん出来たから行きたいかな」
「了解」
そう言って友達が携帯で検索をかけてそのままお店に向かう。お店についてそのままメニューを眺めていると友達は決まったようで先にレジに向かった。ここは定番のいちごチョコクレープかな、そう思って友達の後ろに並ぶ。値段を確認して財布を取り出し、順番が来たのでレジでいちごチョコクレープを頼んだ。店のテラス席に友達が座ったのを確認してクレープを受け取り友達がいる席に向かう。
「何にした?」
「定番のいちごチョコクレープ」
「ザ・定番じゃん」
友達はけらけらと笑って頼んだバナナチョコクレープを携帯で撮って、その後頬張った。友達も定番なのを頼んでるなと思いながら口には出さない。お互いにクレープを食べ、さっそく出たのは愚痴だった。
「ところで英語、わけわかんないんだけど」
「あの先生、教え方わかりにくいよね」
「元々英語微妙なのにさらに点数落ちていくばかりじゃん」
そんな愚痴を聞きながら友達の手を見る。
「なあに?」
「綺麗だなと思って」
「小さい頃からピアノ弾いてたからかな」
「校則違反だけどマニキュア塗ってるからじゃない?」
「バレた」
けらけらと笑ってそのままクレープを包んであった紙をゴミ箱に捨て、店を出る。今日は塾がないためそのまま帰ろうと思って駅に向かう。電車の時刻を調べるため携帯の画面をつけるとメッセージが来ていた。誰だろうと思ってチャットアプリを開くと松田くんからだった。返信が早いなぁと思って適当に返信を送って携帯の画面を消す。そのまま電車を待って友達と乗り込んで何気ない話をして家に帰った。
松田くんとちょくちょく連絡をしている、返信が早いのでどちらが女子なのかわからないくらいだ。でも絵文字を使う回数が多いのは私なので私の方が女子っぽい。そう言い聞かせながら今日も電車に乗り込む。そろそろ文化祭が行われる時期で準備に追われていた。文化祭は他校の生徒が来たりといろんな人が来るのでみんな浮き足立っている。主な理由はあわよくば彼氏が作れないかなという願望のため。そんなことを思って電車に乗ると私がいつもいる場所に松田くんがいた。どうしたんだろうと思いながら松田くんに声をかける。
「おはよう、松田くん」
「はよ」
挨拶を返して大荷物の私を見て不思議がっている松田くんに説明をする。
「そろそろ文化祭なので」
「あー、大変だな」
「松田くんのところの文化祭は?」
「まだ先だな」
「他校の文化祭とか興味あるから行ってみたいけど、私小中高同じ学校だから他校の友達とかいなくて行ってみたいと思うんだけど情報がなくて」
そう言って苦笑すると松田くんは確かにといった顔をした。
「俺も他校の文化祭とか行ったことないな」
「そうなの?」
「そっちの学校の文化祭っていつだ?」
「えーっと確か」
携帯を取り出してスケジュールアプリを開く。指でスライドして日付を確認して、松田くんに伝える。
「なぁ、俺も興味あるから行ってもいいか?」
その言葉に私は目を丸くした。
「え、ちょっと、待って」
「もしかしてチケット制度とかあるのか?」
「いや、その、そうじゃないけど、女子しかいないよ……?」
「まぁ、そうだな」
「多分だけど、松田くん、浮かない?」
「あー、そういうことか」
松田くんは私が言いたいことを把握してくれた。松田くん一人だと多分イケメンすぎて騒ぎ立てたり浮いたりする可能性がある。そして面倒なことに私の知り合いだとバレるとクラスメイトが騒ぎ出すのがわかる。それは些か面倒なので松田くんにあまり来ることをおすすめ出来なかった。
「もう一人連れていくからいいか?」
そういって頼み込む松田くんに断れなかった。
私のクラスはアイスクリームを出す模擬店で、クラスで揃える服はメイド喫茶みたいな可愛い服がいいという意見が大多数だったので何故か黒いクラシカルなワンピースにフリルのある白いエプロンをつけてキャッキャッしていた。クラスメイトに看板を持ってお客さんを呼んできてと頼まれメイド服を無理やり着させられた憂鬱な友達と一緒に回ることになった。
「もう嫌だ、黒歴史だ……」
「文化祭ならではで楽しいよ?」
友達を引きずりながら看板を持って校内を歩く。他のクラスの子たちに写真撮らせてとか言われたりすると友達の顔がどんどんと死んでいくので事務所を通してくださいとか言ったりしてなんとか断っている。そういえば松田くん来るって言ってたけどクラスも教えてないなと思い出していると声をかけられた。
「はい?」
「あ、やっぱり」
「アイスクリーム販売してます、よかったら二階の六組に寄ってください!」
「あれ?」
見るからに他校の生徒である、男子だからだ。知り合いでもないので決まった言葉を言ったら反応がおかしい。どうかしたのだろうかと思って首を傾げると私の名前を呼ぶ声が聞こえた。目の前の男子の後ろから。
「何してんだ?」
男子の後ろから姿を現したのは松田くんだった。
「松田くん、これはお客さんを呼ぶための」
「例の男子!?」
友達が生き返ったようにして松田くんを見る、松田くんは驚いた顔をしているが私としては友達の生き返りにびっくりした。
「何してるの……」
「いや、つい」
「メイド服着てるってことはもしかしてメイド喫茶やってるの? チラシにはなかったけど」
「アイスクリーム販売してます、よかったらうちのクラスに来てください!」
そう笑って看板を見せると納得したような顔で私を見る。松田くんと、もう一人の名前は知らない。
「よかったら案内するよ」
そう言って松田くんを見ると松田くんの横にいた人は松田くんを突っついて笑う。
「よかったな、陣平ちゃん」
「うるせーよ」
そのまま友達に看板を渡そうとしたら友達もついてくるらしく四人で私たちのクラスに案内するとクラスメイトが松田くんともう一人の男子を見て騒ぎ出した。
「え、待って。イケメンたち連れて来たんだけど!?」
「なになに、どういう知り合い?」
「前に話してた例の男子ってこと!?」
騒ぎ出したクラスメイトたちに苦笑していると松田くんたちはアイスクリームを買ってくれてそのままイートインスペースに案内する。友達はそのままお客さんを呼んでくるように言われたらしくとぼとぼと教室を出て行った。それを見ながら私は四人掛けのテーブルにアイスを置いて接客をしてろと言われたので接客するために椅子に座った。
「ごめんね、騒がしくて」
「大丈夫、むしろ突然押しかけてごめんね?」
「えっと、松田くんと」
「萩原研二です、よろしく」
「萩原くん、よろしくね」
そう言って笑うと萩原くんも笑う。
「にしてもなんでメイド服なんだ?」
「みんな可愛い服を着たいんだよ、特に文化祭は他校の生徒と交流できるし恋人探しにうってつけ」
「あー」
萩原くんは納得したような顔で頷いた、松田くんはそのあと納得したようにして笑う。
「にしても陣平ちゃん、こんな可愛い子とどうやって知り合ったの」
「うるせーよ」
そう言いあう二人を見て仲が良いんだなと思い、笑う。
「二人とも仲が良いんだね」
「まぁ幼馴染で親友してますので」
「そうなんだ」
そう言って笑うと萩原くんも笑う、松田くんはどこか居づらそうにするから不思議で首を傾げる。萩原くんは何か察したらしく松田くんの耳元で何かを囁く。
「ばっ、うるせーよ萩!」
「もしかしてそういうことか」
萩原くんはにやにやとした顔で松田くんを見るものだから何かあったんだろうかと思いながら松田くんを見る。松田くんは顔が真っ赤で私はどうかしたのかと思いながら再度首を傾げた。
「ところでメイドちゃん」
「メイドじゃないけどなにかな、萩原くん」
「もえもえキュン♡ ってしないの?」
「ここはメイド喫茶じゃないのでしないね」
そのまま松田くんと萩原くんは違うところを楽しんでくるらしく行ってしまった。その背中を見てそのまま教室に戻るとじとりとした目でクラスメイトに見られた。
「な、なに……?」
「どうやってあんなイケメン達と知り合ったの」
「で、電車?」
そう言って苦笑いを浮かべるとクラスメイトは笑った。
「で、どっちが好み?」
「そういうのじゃないけど」
「えー、つまんない」
文化祭が終わって打ち上げに参加し、家に帰るため欠伸を噛み殺しながら電車に乗り込む。携帯の画面をつけるとチャットアプリのクラスのグループチャットから写真が何個か掲載されている。それを眺めて、何個か保存して松田くんからも連絡が来ていたのでそちらを見ると私と松田くんと萩原くんのスリーショットの写真があった。たしか撮ったんだ。律義に送ってくれたらしくお礼を送ってそのまま携帯をスカートのポケットにしまう。疲れたな、そんなことを思っていると携帯が通知を知らせる。携帯を再度取り出して画面を見ると松田くんからだった。女子より返信が早くないか、そんなことを思いながら松田くんとやり取りをした。正直男子との距離感がうまくわからないのでこれが普通なのかなと思いながら松田くんへの返信を打っていた。
文化祭の次の日は休みだったけど塾があったので制服を着ていつもより遅い電車に乗り込む、そのまま塾のある駅まで揺られて降りる。松田くんは授業受けてるんだろうな、そんなことを考えながら塾の扉を開けた。
塾が終わり、そのまま家に帰るために駅に向かうと松田くんがホームにいた。どうやら萩原くんと一緒のようで後ろから声をかけた。
「松田くん」
松田くんは振り返って私を見て首を傾げた。
「……今日休みって言ってなかったか?」
「休みだけど塾があってね」
「メイドちゃんだ」
「萩原くん、残念ながら文化祭は終わったのであだ名を変えてください」
どうやら萩原くんと松田くんは学校帰りらしくこんな時間まで残っていたらしい、大変だなと思いながら笑う。
「塾通ってたりするの?」
「そうだよ、一応来年は受験生だから受験に備えてね」
「あー、確かに」
「耳に痛い話だな」
「二人とも部活帰り?」
「そうだな」
「何部に入ってるの?」
「松田はボクシング部に入ってるんだよ」
「そうなの?」
「そうだな」
「ちなみに俺は帰宅部」
「そうなんだ」
そんな会話をして電車が来たのでそのままその電車に乗り込む。この時間にもなれば電車はあんまり混んでいない、しかし座る席はほぼ埋まっている。そんなことを思って萩原くんを見る。
「松田くんが言っていた身長高い人って萩原くんなんだね」
「え、陣平ちゃん俺のこと話してたの?」
「そうだね、松田くんも身長高いけど萩原くんはもっと高いね」
「知らないうちにすくすく成長したんだよね」
「私は女子の平均身長より少し低いからなぁ」
「それくらいがちょうどいいんじゃないのか?」
「身長高いってことは憧れるんだよ」
そう言って松田くんを見る、松田くんは私を見て笑う。あ、意外にも笑う顔がかわいい。
「まぁ、それは男女共通ってことだな」
そう言ったので私も笑った。
文化祭が終わったということはそろそろ受験という単語がちらちらと見えてくる時期にもなる。二年生である私は志望校合格に向けて塾に通う頻度が増えてきた。朝の通学時間は英単語集が必須となってきた頃、松田くんとの距離がいつしか近くなっていった。例えば横に並んだりすることや人の携帯画面をたまに覗き込んだりしてくる、後者のことはいつも怒っているがそれでも笑って許しを請うのでつい許してしまう。そんなことをしていたらいつしか友達に付き合っているのではないかと疑われるようになった。私としては気の合う男友達かなぁと思っているが松田くんはどう思っているのだろうか。そんなことを思いながら正月、松田くんに一緒に初詣に行かないかと誘われた。萩原くんも来るのかなと思いながら頷いたら松田くんに待ち合わせ場所と時間と行く予定の神社を言われてそのままスケジュールアプリに登録した。
元日に松田くんとの待ち合わせ場所に時間通り行くと松田くん一人が立っていた。
「こんにちは、萩原くんは?」
「いねぇぞ」
そう言うものだから私はあれと思って首を傾げた。もしかして勘違いしたのか私。
「行くぞ」
そう言って松田くんは行くものだから私は松田くんの跡を追って神社に向かった。
目的地の神社はいたって普通の神社だけど混んでいた。仕方ないよなぁと思って参拝の列に並んで松田くんの横に立つ。貼らないカイロを使っていると横から大きな手が私の手とカイロを包むように掴んできた。
「松田くんの手、とても冷たい」
「仕方ねぇだろ、さみぃんだから」
「カイロ持ってこなかったの?」
「忘れた」
そんなくだらない話をしてようやく参拝の順番が来た、二礼二拍手一礼だったよなと思いながら五円玉を賽銭箱に入れて志望校に受かりますようにと一年何事なく過ごせますようにと二つ願って松田くんと横にずれてそのまま神社で振舞われている甘酒をもらって飲んでいると松田くんに名前を呼ばれた。
「どうかした?」
「何願ったんだよ」
「そういうの言ったら叶わないとか聞くけど」
「どうせ志望校合格とかだろ」
「なんでわかるの、そういう松田くんは?」
そう言って松田くんを見ると松田くんはどこか気恥ずかしそうにして私から目を逸らした。
「……隣の奴と付き合えますように」
その言葉に私は目を丸くして、そして徐々に顔が赤くなっていくことが分かった。
「えっと、その。隣って私の、こと?」
「……それ以外、ないだろ」
はっきりと言われてしまって逸らしてしまった視線を松田くんに向ける。松田くんの耳は真っ赤でつい笑ってしまった。
「なんで笑うんだよ」
「ごめん」
「で、返事は」
「……いいよ」
そう言って笑うと松田くんはぽかんとして目を丸くしていたからまた笑ってしまった。
そのまま甘酒を飲んで神社に並んでいる露店を松田くんとまわって、そのまま松田くんとさよならをした。松田くんとお付き合いをするなんて思いもしなかったけど、松田くんに対しては良い印象だったから頷いた。松田くんのことを異性で好きとかそんな感情はまだないけど、松田くんとなら誠実なお付き合いを出来ると思ったから。そんな簡単な理由で承諾してしまった。
そんなちっぽけな理由で頷いたことを後悔なんてしないと思っていた。
松田くんとの交際は順調である、たまに喧嘩もするけど最終的には仲直りをするので仲良しだ。受験生になるのに交際を始めてもいいのかという疑問も浮かんだが松田くんも受験生なのでいいだろう。そんなことを考えながら学校の敷地内にある図書館の勉強スペースで英語の問題を解いていた。志望校はエスカレーター式に今と同じ学校にするつもりだが、成績がそこそこなければ厳しいので勉強に励んでいた。先生にはこのまま順調にいけば推薦で入れると言われたのでそのつもりで勉強に励んでいた。そういえば松田くんの志望校を聞いていないなと思いながら問題を解き終えて答え合わせをしてそのまま帰ろうとして図書館を出る。携帯の画面をつけて連絡がないか確認すると松田くんから連絡が来ていた。どうやら今度の週末会えないかとのことだ、さてどうしようか悩んで携帯をポケットにするりと入れる。そのまま校門をくぐり駅に向かう。松田くんと会うことに嫌な理由はないが、このまま浮かれたまま受験をするのかと思うと会う頻度を下げた方がいいだろうと思ってしまう。しかし付き合ってから受験を理由に会うことを拒絶してもいいのだろうか。何が正解なのかわからない私は自分の名前が呼ばれていることに気付かなかった。私はそちらの方向を見ると松田くんがいた。
「あれ、松田くんだ」
「気付くの遅いだろ」
そう言って松田くんは私を見て笑った、私もつられて笑う。二人で横に並んで歩く。どうやら松田くんは部活がなかったらしくこの時間に帰れたらしい。運動系の部活は大変だなぁと思いながら松田くんの話を聞く。少しだけ早歩きをしていると松田くんがそれに気づいたのか少しだけゆっくりと歩いてくれた。
「ごめんね、遅くて」
「いや、気付かなくて悪かった」
そう言って松田くんは困ったようにするから私は苦笑いを浮かべる。多分この調子だと松田くんは初めての恋人が私なんだろうなというのが目に見えてわかる、いやそんなことを言っているが私も初めての恋人だが。お互いにすり合わせをしていけばいい話なんだろうなと思いながら松田くんの話を聞く。松田くんの話を聞くことは苦痛ではないし、むしろ松田くんのことを知れて嬉しい。そんな風に考えているなんて松田くんは知らないんだろうな、そう思いながら松田くんの話を聞いている。
「ところで、連絡したけど今週末会えるか?」
「あー、うん。たぶん?」
「多分ってなんだよ」
「あの、その、受験のことがあって」
松田くんはピンと来てなくて、そういえば私の学校だけの話かもしれないと思って話す。
「私、エスカレーター式に同じ学校の大学に推薦で受験しようと思ってて、今その推薦を取れるかどうかが決まる時期なんだ。だから勉強に集中したくて」
「……そういうことか」
「ごめんね」
「いや、聞くまで俺も知らなかったから話してくれてありがとな。じゃあ推薦取れるまで会うの控えておくか」
「うん、ごめん」
「なら、受かったら俺に一番に連絡よこせよ」
そう言って笑った松田くんに私も笑った。ちゃんと話せば伝わる、それが分かった日だった。
ちゃんと話せば伝わるなんて、わかっていたのに話せなくなったのはなぜなんだろうか。
松田くんとはお互いに志望校に合格出来て大学生になれた、私は実家暮らしのままだが松田くんは一人暮らしを始めたらしい。松田くんは家事をちゃんとできているのだろうか。私も何れ一人暮らしをするんだろうなと思っているが家事をちゃんとできるかどうか不安だ。松田くんが出来ているなら私もできるのだろうか。料理は人並み程度、洗濯機も使い方をわかっているし使ったこともある、掃除はなんとかなる。なら大丈夫なのでは、という謎の自信が満ち溢れている。そんな私は今、松田くんとデートをしていた。
「松田くん、甘いものは好き?」
「なんだよ」
「私は今、ズコットケーキが食べたくて」
「ズコットケーキってなんだよ」
「見ればわかる、可愛くて甘くてほっぺたが落ちるくらいおいしいよ」
そう言って笑って善は急げと言わんばかりに松田くんの手を引っ張る。すると松田くんが私の手を少しだけ強く握った。
「どうかした?」
「そろそろ松田くん呼び、やめねぇか」
「うん?」
「俺ら付き合ってるんだし」
そう言って松田くんは私を見る。つまりこれは、下の名前を呼んでほしいとのことか。
「じんぺい、くん?」
「おう」
「……なんだか恥ずかしい」
「なんでだよ」
そう言って少し松田くんから視線を逸らすと手を強く握られた。
「いたいよ、松田くん!」
「陣平、だろ」
「恥ずかしい、よ」
「なら慣れるまで何度も呼んでくれよ」
そう言って松田くんは笑うものだから私は頬が赤くなっているのが分かって松田くん、いや陣平くんを見る。
「じん、ぺいくん」
「おし、そのケーキ食べに行くぞ」
そう言って陣平くんとズコットケーキがメニューにあるカフェに向かった。下の名前呼びに慣れるまで時間がかかるのだろうな、そんなことを思いながら陣平くんを見ると耳が赤い。陣平くんも照れているんだなとわかって少しだけ嬉しかった。
「なんで笑ってるんだよ」
「秘密」
そう言って私は一人で笑った。
思い出は色褪せずに残っているというのに、今の私と陣平くんの関係というのは何なのか、私にはわからなかった。
陣平くんは大学卒業後、警察学校に入学した。私は実家を出て、一人暮らしをしながら一般企業に入社して普通に会社員をしている。お互い違う環境であるかつ警察学校では携帯が没収されるため、連絡はあまりしなくなった。それでも前よりか遅いがまめに連絡をくれる陣平くんに対して、私は社会の荒波に揉まれながら気付き次第返信をしていた。このままお付き合いを継続しているが、結婚を意識し始めるのはいつになるのだろうか。そんなことを思いながら陣平くんからの連絡を待っていた。
陣平くんは希望通りの部署に入れたらしい、しかも萩原くんと一緒らしい。幼馴染はここまでいくものなのか、そんなことを思いながら携帯を見ていた。陣平くんからきた写真は仲のいい同期で集まったときのものらしく、仲がいいことはいいことだろう。私だって幼稚舎の頃から仲良い友達とまだ続いている。陣平くんとも続いているし、これからも続いていくんだろうな。そう思っていた、あの日まで。
その日は唐突にきた。十一月八日、冷たい風が吹くようになって紅葉としていた木々の葉が落ちてきた頃だ。そろそろコートを出す準備をしなくてはならないと思っていた頃だった。今思えば兆候はあった、いつもより返信が遅いこととか、デートのときもうわの空で何を話しても生返事ばかりだったこと。
「距離を、置かないか」
その言葉に私は持とうとしたティーカップの持ち手に触れなかった。今、陣平くんはなんと、言った。冷静になれない私とは違って頭は冷静だった。
「理由は、聞いていいの」
「……萩をあんな目にやった犯人を、捕まえたい」
薄々感じ取っていた。一年前の十一月七日に、萩原くんが死にかけたということが陣平くんの中で、相当ダメージを受けたということを。だからずっと陣平くんを気にかけていた。だけどそれが邪魔だったのだろうか。
「自分の手で、捕まえたい。だから」
「私と距離を置きたいの?」
そう頷く陣平くんにティーカップに入っている紅茶をかけてやろうかと思った。それだけで、納得できるわけがない。それだけの理由で、私を納得させられると思っていた陣平くんを馬鹿だと思った。私は、なんと返事をすればいいか、わからなかった。視線が交わらない、当たり前だ。陣平くんは私を見てないし、私は陣平くんを見ているから。
「……陣平くん、三年だけ待つよ。だからそれ以降連絡しないなら私は待てない、別れたってことにしよう」
そう言って財布からお札を一枚取り出してテーブルの上に置いて、そのまま財布を鞄に入れて、鞄を手に取って陣平くんを置いて、店から出た。陣平くんは私を追いかけてこなかった。当たり前の出来事に私は涙すら出なかった。
「もう今すぐ別れて街コンとか合コンとかマッチングアプリしよう」
「やっぱり?」
幼稚舎からの友達はそう言って私を見た。私はアルコールのせいで鈍った思考を動かして友達の言葉に返す。やはり今すぐ別れるべきなんだろうか、そんなことが脳裏に浮かぶ。それでも三年待つと言ったのは自分だ、三年待てるのだろうか。そんなことを考えながら火照った頬を冷やすために個室の居酒屋のテーブルに頬をくっつける。
「二十代の女性の価値をそいつはわかっていないよ、マジで別れて私と街コンとか合コンとか一緒に行こう」
「後半自分が寂しいだけで一緒に来てくれる友達が欲しいだけでは?」
「高等部時から恋人いたあんたと違って私は恋人いない歴が年齢なんですけど? 喧嘩売ってる?」
ジト目で私を睨む友達に私は笑う、確かにそうだ。もういっそのこと別れてしまえばいい。そんなことを考えるけどそれでも私は陣平くんのことが好きなままである。最低最悪な悪循環だ、ちゃんと話し合えばよかったのに、しかし一方的に決めたことのように言われて私も腹が立った。三年待つと言った手前待つことにする、そう思って顔をあげると友達が心配そうにして私を見ていた。
「ごめん、自分で三年待つと言ったから三年待つ」
そう言って無理矢理笑って見せる。
「そっか」
「まぁ三年後新しい恋人を作ってたら笑って」
「その前に私が恋人を作ってやるからな」
「その報告をずっと待ってるんだけど」
「うるさいよ」
陣平くんを待つと決めて、最初の一年はきつかった。いつも連絡してしまう癖がついてしまっていたのでそれを無意識で行おうとすることを意識して止めた。幸い陣平くんは寮生活なので同棲をしていなくてよかったと思った。同棲して距離を置こうとか言われたらそれこそまた違った地獄だが。そんな無意識で行おうとすることを意識して止めることがきつかった。それと同時に一切連絡をしてこなくなった陣平くんの態度にも堪えた。それだけ、萩原くんが大切なのだろう。もし、私が萩原くんの立場だったら陣平くんは、どうするのだろうか。そんな馬鹿げた問いに答えるつもりもない。そう思って携帯の画面を閉じてそのままベッドに沈んだ。徐々に連絡をすることを止めることにも慣れてきた。いつしか連絡することすら馬鹿げてきた。本当にこのままでいいのかと、自問自答したが答えは見つからなかった。正解なんてわからない、ちゃんと話し合ったら、話し合えたら、答えは変わったのだろうか。馬鹿らしい、そう思って目を閉じた。そのまま眠気に身を任せた。夢の中で、陣平くんが出てきませんように、そう願って。
あの約束をしてそろそろ三年が経つ。未だに連絡が来ないということはまだ犯人を捕まえられていないということだろう。もしくは他に恋人を作ったか、陣平くんは誠実なのでそんなことはないと思いたい。三年待って、何も連絡がなかったら、私はどうするのだろうか。新しい恋人を作ると友達に意気込んでいたが、本当に出来るのだろうか。もう、陣平くんの声を忘れてしまったというのに。
人というのは最初は声から忘れていく、そして最後に忘れるのは匂いらしい。私は、陣平くんの匂いを覚えているのだろうか、それすらも危うくなってきた。三年という期間は長く苦しかった。陣平くんは、今、なにをしているのかわからない。それでも、それでも待つと決めた。陣平くんが好きだから。ちゃんと私のところに帰ってくると信じていたから。だけど、それは、本当に帰ってくるのだろうか。三年という期間で私は陣平くんを信用できなくなっていった。
明日で三年が経過するということを携帯のスケジュールアプリを見て思っていた、十一月七日にいきなり電話がかかってきた。誰だと思って画面を見ると滅多に連絡をしてこなかった萩原くんだった。電話に出ると早急に杯戸町の杯戸ショッピングモールの観覧車の前まで来てほしいと言われた。いきなりなんだと思いながら最低限の身支度をして、指定された場所へ向かうとそこにいたのは顔を青ざめている萩原くんがいた。
「久しぶり、こんな場所に指定して何か用?」
「ごめん、挨拶は省略させて」
「いいけど」
「松田が今、観覧車のゴンドラの中で爆弾と一緒にいる」
その言葉に持っていた携帯とバッグを落とした。
「それで、私を呼んだ理由は」
落とした携帯とバッグを持って萩原くんに聞いた。
「松田を説得してほしい」
萩原くんは真剣な眼差しで私を見た、私はその眼が真剣すぎて目を逸らした。
「無理だよ、もう三年も連絡してない」
「知ってる、でも俺でも説得できなかった」
「なら、私には無理」
「彼女のきみならできる」
そう断言する萩原くんに私は何も返せなかった。
「今、松田は爆弾を解体しようとしていない。理由は爆発する三秒前に次の爆弾のありかがわかるからだ。その次の爆弾のありかは俺たちが探している。だから、見つかるまでの間にきみには松田を説得してほしい」
そう言われても、私に陣平くんを説得できるだろうか。私にはわからなかった。
「……説得できなかったらどうするの」
「嫌なことを考えるべきじゃない、今は最善を尽くすだけだ」
「……わかったよ」
震える手で携帯を握る、どうしてそんな役目を私に押し付けたのか、萩原くんの考えが分からない。だけど、やるしかない。私だって、陣平くんに生きていてほしいから。
「もしもし、陣平くん。久しぶり」
「なにって、今近くにいるの。そう、杯戸町の杯戸ショッピングモールの観覧車の下。爆弾と一緒にいるんでしょ。全部萩原くんから聞いた」
「ねぇ、その言葉今聞きたくない。目の前で頭を下げて言って。は? どうせ頬を叩くだろって、当たり前じゃない、陣平くんはそうされてもおかしくない立場にいるんだから」
「ねぇ、私これからの未来をね、陣平くんと一緒に歩きたい。三年間結構つらかったよ、連絡もくれないし連絡したら迷惑だってわかってたし。……それでも送ってこいって、自分が言ったことくらい責任取ってよ」
「萩原くんのことを優先するのは別にいいよ、たった一人の親友なんでしょ。わかっていたよ、でも私のことも考えてほしかった」
「今、萩原くんたちが次の爆弾の場所を探してくれている。警察は優秀なんでしょ、陣平くんと萩原くんを見ればわかるよ」
「卑下しない、馬鹿にしない、大丈夫。だから、え。ちょっと待って」
「萩原くんたちが次の爆弾見つけたって、だから解体を早くしろって」
「陣平くん、降りてきたら絶対に言いたいことがあるんだ。だからちゃんと生きて帰って来て」
陣平くんが他人の手を使って観覧車のゴンドラから降りて地に足をつけた、陣平くんは私を見て近付いてきた。私はそれを見て笑った。
「……なんで笑っているんだよ」
「陣平くん、今から頬を叩きます」
そう宣言して頬を叩いた、萩原くん含め周りの人は目を丸くしていた。
「……わるかった」
「私じゃなくて萩原くんに謝って」
「なんでだよ」
「私より一番傷ついているのは萩原くんだからだよ。萩原くんの気持ちを考えたことあるの、たった一人の親友が、自分のせいで死にかけた。一番苦しいのは萩原くんだよ」
そう言うと陣平くんは目を見開いた。
「ちゃんと仲直りする、わかった?」
「……わかったよ」
そう言って陣平くんは私を腕の中に入れた。陣平くんの体温で我慢していた涙が目から零れ落ちていくのがわかる。
「今までお前を無碍にしてわるかった、距離を置こうって言ってわるかった、だから泣くな」
「うるさい、じんへいくんのおおばかやろう……!」
そう言って陣平くんの腕の中で泣いた。陣平くんの鼓動が聞こえて、安心して子どものように泣いた。
陣平くんは報告書やら始末書を書くために年下の先輩である佐藤さんに首根っこを掴まれてそのまま警視庁へ戻って行った。それを一緒に見ていた萩原くんは笑った。
「ごめんね、ありがとう」
「私がしたこと、本当は萩原くんでも出来たでしょう」
「流石、わかってたか」
そう言って萩原くんは困ったようにした。私はジト目で萩原くんを見た。
「どうして私にさせたの」
「きみに謝りたくて」
「なんで?」
「俺のせいで松田ときみは距離を置くことになったから」
そう言って萩原くんは頭を下げた、私はそれを見て笑った。
「だから萩原くんは私に押し付けたの?」
「言い方が酷い」
「事実そうでしょ」
萩原くんは頭を上げて私を見て、笑った。
「でも、呪いにかかった王子様はお姫様のキスじゃないと目を覚まさないでしょ?」
その言葉に私は目を丸くし、そして笑った。
「萩原くんは時折意味がわからないこと言うよね」
「そう?」
それから萩原くんと別れてそのまま帰路に着いて家に帰る、鍵を開けて扉を開いて入って扉を閉めて鍵をかけた。すると携帯が着信を知らせる。誰だろうと思って画面を見るとそこには陣平くんの名前があった。電話に出ると、予想にもしなかった言葉が聞こえた。
「ただいま」
「ここは陣平くんの家じゃないんだけど」
陣平くんは悪びれもせずへいへいと言って部屋に入ってくる。私はそれをなんとも言えない顔をして見ていた。いきなりなんだと言うのだろうか。どうやら話を聞くには寮には外泊届を出してあるらしく泊まる予定らしい。そういえば、明日で陣平くんとの関係が終わる約束だった。陣平くんはまだ犯人を捕まえられていない、ならどうするかはもう決めたはずなのに、今揺らいでいる。陣平くんの背中を見て、私はなんと声をかければいいのかわからない。手を伸ばしたら届きそうで届かない背中に私は、どうしたらいいかわからない。すると陣平くんが振り返り私を見る。その目には泣きそうな私が映っていた。
「……なんで泣きそうな顔しているんだよ」
そう言う陣平くんに私は顔を俯いた。今、陣平くんに顔を見られたくない。
「なんでもない」
「そんな顔でなんでもないわけないだろ」
そう言って陣平くんは私を心配してくれた、その優しさが痛かった。
「明日から、陣平くんと別れるって言ったの覚えてる?」
「……そんな約束だったな」
そう言った陣平くんはしゃがみ込んで私の顔を覗き込んだ。私は陣平くんの顔を見た、その表情は愛しいと言わんばかりだった。
「犯人も捕まえられてない、だけど俺はお前と別れたくないって言ったら我儘か?」
その言葉に私は目を見開いた、目から涙が零れ落ちて、それをきっかけに我慢していた涙がボロボロと零れ落ちていく。陣平くんはそんな私を見て抱きしめてくれた。
「私だって、別れたくない……」
「そうだな」
「陣平くんが好き……」
「わかってる」
「結婚してほしい……」
「それは後日俺から言わせろ」
そう言って陣平くんは私を強く抱きしめてくれた。私はその温かさに安心して陣平くんの服を濡らした。
「そういえばどうして陣平くんは私のことを好きになってくれたの?」
寝る前に浮かんだ疑問に陣平くんは今にも眠そうな顔で、私を見ていた。
「……それ、今じゃなきゃ駄目か」
「今じゃなきゃ駄目」
「一目惚れ、だったら笑うか」
その言葉に私は目を丸くした。陣平くんはもう眠そうにして私を腕の中に入れて澄んだ青い目を閉じて寝息を立てた。よほど疲れたんだろうな、そう考えながら前に萩原くんが教えてくれたことを思い出す。陣平くんの初恋相手は萩原くんのお姉さんで、私と違ったタイプらしい。陣平くんのタイプは萩原くんのお姉さんなことは確実らしいけど、それでも私に一目惚れしてくれた事実に思わず顔がにやけてしまい陣平くんの腕の中で、幸せを噛み締めていた。