濃藍に焦がれて
私という人間はちっぽけな人間であると明記しておく、すごいことを成し遂げたことなどない。一般家庭に生まれたごく普通の女の子だ。ただ、人より嘘を見抜くのが早いだけ。それ以外は普通である。
サンタクロースが私の家にプレゼントを届けに来ないということに気づいたのはすぐだった。親の言葉を聞いて、何故か親が用意したのだろうと気付いた。親には変に勘のいい子だと思われた。そんな長所なのか短所なのかわからないものは小学校に入学してすぐにこれは自分にしかないものだとわかった。嘘だとわかるとすぐに言ったら人を傷付けるということもその頃にわかったものなのでただ嘘なんだなぁと思いながらその場を取り繕った。その頃にある事件が起きた。同級生の松田くんの親が殺人事件を起こしたということが教室で広まった。松田くんは否定していたがまわりはそれを信じて松田くんを虐め始めた。それを見ていた私は今まで大人しくしていたが松田くんは嘘をついていないことを把握した瞬間に松田くんを虐めていた相手に対して苦言を呈した。松田くんはぽかんとしていて、私は虐めていた相手から罵言を投げられたが事実を述べたまでなので相手側をただ見ていたらそのまま顔を赤くしてどこかに行ってしまった。それから松田くんへの虐めは無くなった、それから松田くんに絡まれるようになった。
「松田くんって友達いないの?」
「なんでだよ」
「いつも私に絡んでくる」
そう言ったら松田くんは沈黙して、指を一本立てた。
「萩原研二が友達」
「萩原くんは誰とでも友達じゃん」
「そんなことないだろ」
そう言って松田くんは私の隣を歩く。いつも一緒なため揶揄われることはあるが、もうそれが当然になってしまった。私も最初はなんだこいつと思ったが、大型犬に懐かれたと思うようになった。松田くんはどうして私に絡んでくるのかわからないのでどうあしらえばいいのだろうか。考えてもわからないので松田くんの好きにさせておくかと思ってそのまま放置しておいた。
いつのまにか松田くんと付き合っているという噂が流された。中学生になっても松田くんは私に絡んでくる。小学生の頃よりマシだが松田くんは揶揄われないのだろうか。私は慣れてしまったのでなんとも思わなくなったが松田くんもそうなんだろうか。友達の恋愛話を聞きながらそんなことを考えてた。
「聞いてる?」
「うん」
そう頷いたら友達の恋愛話は続いた。どうやら一個上の先輩が気になるらしい。しかしその先輩は人気者らしくどうアプローチすればいいのか聞いてきた。私は恋愛経験などないに等しいのにどうしろと。そんなことを考えながら友達の話を聞く。こういうときはどう言えばいいかわからないので聞き役に回ることが多い。すると私に影ができて上から声が聞こえた。
「帰るぞ」
「松田くん、一緒に帰るって聞いてないけど」
「近所で不審者出たんだろ」
「確かにそれはそう」
友達に断って挨拶をしてそのまま鞄を持って松田くんを追いかける。
「何話してたんだ」
「友達の恋愛話」
昨日食べた夕食の内容みたいに話していると松田くんは興味ないかのように違う話題を振った。どうやら松田くんは他人の恋愛話には興味がない。そうわかっていたから私も松田くんの話を聞いていた。
中学生にもなれば保身が故に嘘をつく子が増えてくる、それを指摘すると仲間はずれにされることがあると判断したのでなんとも言えない気持ちで聞いていた。相変わらず松田くんに絡まれているので別に仲間はずれに関しては気にはしないが女子同士の付き合いも必要だと判断している。母曰くこの時期特有の面倒臭さを経験しておけと言われているので面倒だなぁと思っていた。そんなある日、何故か松田くんを待つことになった私は教室で宿題を解いていた。すると松田くんが教室に入ってきたと思えば萩原くんもついてきた。松田くんが私の名前を呼ぶ。
「帰るぞ」
「……あの、なんで萩原くんもいるの?」
「気にすんな」
そう言うのでため息を溢して机の上に置いていた教科書と問題集、ノート、文房具をバッグに入れてそのバッグを持って松田くんの元へと向かう。萩原くんを見ようとは思わなかった。
「何してたんだ」
「宿題」
「あとで写させろ」
「宿題は自分でやってください」
松田くんとくだらない話をしていたら萩原くんに視線を向けられていた。なんだと萩原くんを見ると萩原くんは口を開いた。
「松田と仲良いんだね」
「どこが」
「仲良いだろ」
「いや、松田の親友として嫉妬というか、ね?」
その言葉を聞いて即座に萩原くんは私を見定めているんだなとわかった。まぁ親友が知らない女に付き纏っていることはあまり印象がいいとは言えない。ましてや付き合っていると噂されているのだから仕方ないといえば仕方ないだろう。
「松田くんにとって萩原くんの座は誰にも渡されないから心配しなくてもいいよ」
そう言うと萩原くんはきょとんとして笑い出した、何故笑う。
「松田が気に入るのもわかる」
「意味がわからないよ、萩原くん」
それから萩原くんにも絡まれるようになった。
いつの間にか私と松田くん、萩原くんはセット扱いされるようになった。同性の友達はいるがそこまで踏み込んだ仲の子はおらず、ただ三人でいるのが普通になった。
「進路調査出した?」
「出した」
「松田くんはやーい」
「そういうお前は出してないのか」
物珍しい目で松田くんに見られた。まぁいつも期間内には提出しているが、今回は期間内だがまだ提出していなかった。
「将来の夢って、今決めなきゃいけないこと? 人生経験まだ少ないのにこれからのことを今決めないといけないっていうのが腹立たしい」
「でも今決めないと人生変わるよな」
「萩原くん、今の私に正論をぶつけないでほしい」
「志望校同じなんだからそこまで考える必要はないだろ」
そう松田くんに言われて口を閉じた。確かにそれはそう、どうしてか三人とも同じ志望校だった。これで私だけ落ちたら笑いものにもならないが。
「まぁ、今後のことは今後の私が決めるでしょう」
そう言って志望校を書いて提出することに決めた。
同じ志望校に三人で合格した、卒業式で感極まって泣いている子がいるのを見て一生の別れではないだろうにと思いながらそれを見ていた。たまに嘘の言葉を投げている子もいるが優しさ故の言葉だろう。嘘を嘘と暴くことはよろしくないことでもある、それを今までの経験で培ってきたものだった。最後のホームルームが終わり、学校の校門の前で松田くんの横に立って、携帯を取り出した。
「中学最後の記念に写真撮らない?」
「どうせまた高校も同じだろ」
「この制服では最後でしょ」
「……それもそうか」
そう言って私の携帯を持ってくれて二人でツーショットを撮った。萩原くんは最後の駆け込みと言わんばかりの告白をされていた。制服のボタンは死守したらしくツーショットを撮ったあとにこちらに来た。
「写真撮ってたの?」
「中学最後の記念」
「高校も同じだけどこの制服では最後だし」
「俺も撮る!」
「萩原くん単体でいい?」
「三人で撮るよ!」
高校に入学した、松田くんと萩原くんとはクラスはバラバラになってしまった。腐れ縁だったが、まぁここら辺で途切れるものだろうと思っていた。そんなことはなかった。松田くんはボクシング部に入ったし、萩原くんは帰宅部、私は月一しか行われない華道部に入った。私は松田くんにいつでも暇だと思われてるため、帰る時間を合わせろと言われて図書室で松田くんを待つことが定例化していた。最初は教室で待っていたけど吹奏楽部が使うとなると邪魔になるわけで図書室で待つようになった。いつからか松田くんの彼女と言われるようになった。否定しても意味がないとわかっていたので否定せずにいた、ただ曖昧に誤魔化し続けている。松田くんはこの噂をどう思っているのだろうか、尋ねたかったが松田くんに聞く勇気がなかった。
萩原くんは学年一モテているといっても過言ではない。そんな萩原くんにはお姉さんがいるらしい、会ったことはない。そんなことを考えながら松田くんの手に巻かれている包帯を見ていた。どうやら萩原くんのお姉さんの友達が自殺しようとしたところを止めた際に手を怪我したらしい。これではインターハイにも出られないなと思った。自殺しようとした理由は彼氏に振られたからとかいう理由だったらしい、正直に感じたことを言えば男に振り回されてる。一応そう思ったことは黙っておいた。
「松田くん、荷物持つよ」
「だからリュックにしたんだろ」
そう言われてしまい私は口を閉じた。どこか痛々しい感じがして思わず気を遣おうとしたら松田くんは気にするなという態度になる。よそよそしくて思わず距離を感じるがまぁ彼氏彼女ではないかつただの腐れ縁なのでこれが正しいのかもしれない。でも寂しいなぁと思った。
松田くんの手の包帯が取れてから、松田くんに手を繋がれるようになった。松田くんの手より小さいので、松田くんに手を触られるのはちょっと嫌だけど松田くんがするものだから断りにくかった。いつの間にか出来た男女の差を感じてしまう。昔は同じくらいの身長だったのに。
「お前の手、やっぱり小さいな」
「松田くんに比べたらね」
当たり前の事実を述べても松田くんは私の手を握る。たまに指の大きさを確認するかのように指を触るものだから恋人繋ぎみたいになってしまった。松田くんは恋人作る気はないのだろうか、こんなことを私として作らないのだろうか。不思議に思いながらそのままにしておいた。
友達から紹介されたパティスリーが気になると松田くんに話したら一緒に行く約束をした。待ち合わせをして、二人でパティスリーに向かう。
「松田くんは甘いものって、好き?」
「人並みだな」
「そうなんだ」
知らなかったなぁと思いながらお目当てのパティスリーに着く、松田くんが扉を開けてくれてそのまま入る。ショーケースに綺麗に陳列されているケーキがとても美しく息を呑んだ。店員さんに声をかけられてイートイン希望と伝え、ケーキと飲み物を松田くんと選んで席に案内される。
「どれも綺麗だね」
どうしてか小声になってしまった、松田くんはそんな私を見て笑う。
「甘いもの好きだもんな」
「いちごのミルフィーユでよかったの?」
「今の旬はいちごだろ」
「たしかに」
小声で会話を続けながら来るのを楽しみにしていた、届いたときには感嘆の声を漏らしてしまい店員さんに笑われてしまった。
「やはりチョコレートは正義」
「軽い正義だな」
松田くんはミルフィーユを横に倒してそのままフォークで一口サイズに崩して食べている。それを見ながら松田くん彼女作らないのかなぁと思ったりした。彼女、作ったら私なんかと出かけてくれないんだろうなぁと悲しくなるけど松田くんが幸せならそれで良いかなって思ったりもする。嘘ではない、本当だ。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもないよ」
そう言って、誤魔化して笑う。松田くんは、どうして昔から私のことを構うのだろうか。
松田くんと一緒に帰ってると萩原くんと美人な女性に遭遇した、萩原くんは彼女いたのかなと思っていたら萩原くんがこちらに気付いて手を振って来た。手を振り返すと萩原くんの隣にいた女性がこちらに向かって来た。どうかしたのかと思いながら首を傾げていると松田くんが小声で話を合わせろと言ってきた。
「なんだよ、千速」
「陣平、噂の彼女か!」
「そうだな」
そう言って萩原くんの彼女らしい人は私を見て笑って手を握ってきた。
「初めまして、萩原研二の姉の萩原千速だ」
「萩原くんのお姉さん……?」
「そうだな」
萩原家は美男美女の家系だったのかと思いながら手を握られる。よく手を握ってくるなぁと思いながら名前を名乗る。
「研二と陣平から聞いてるぞ、二人と仲良くしてくれてありがとう」
「こちらこそいつもお世話になっております」
他所行きの顔をしていると萩原くんに笑われた、そして爆弾発言をされた。
「で、陣平のどこに惹かれたんだ?」
「……はい?」
「陣平と付き合ってるんだろう?」
その言葉に私は萩原くんを見ると萩原くんは不思議そうに私を見た。どういうことだと松田くんを見たら松田くんは口を開いた。
「千速、こいつを困らせんな」
「普通は聞きたいだろ」
「用事があるから、じゃあな」
そう言って松田くんは私の手を握ってそのまま私の家の方向へ向かった。
「どういうこと」
「何がだ」
「私、松田くんと付き合ってないよ」
私の家の近くの公園で松田くんと話す、松田くんはどうしてあんなことを言ってるのかわからなかった。松田くんは可笑しいようにして笑う。
「お前、どこか鋭いけど鈍感だよな」
「話をずらさないで」
「ミルフィーユってあるだろ、それだよ」
どういうことだ、そう考えて松田くんを見る。
「嘘と事実をどんどんと重ねていけば本当になるんだよ」
「そんなことにならない」
「なってるじゃないか、事実俺とお前は付き合ってると周りは思ってる。お前は否定するのを面倒がって誤魔化してたけどそれは肯定だと思われた」
私は口を噤んだ、確かに中学時代から松田くんと付き合ってるという噂は流れていた。それを否定しても周りは誤魔化さないでと茶化されていた。だから面倒になって誤魔化すようになった。
「火のたたないところで煙は出ないんだよ」
「……もしかして、私と松田くんが付き合ってるという噂」
「本人がそう言えば噂も本当だろ?」
松田くんが発端、つまり私が否定しても意味はなかった。だから誤魔化すなと言われ続けたのか、やっと意味がわかる。そこまで仲のいい友達もおらず、松田くんと萩原くんと一緒にいた。だから否定しても噂は本当になってしまった。だって、私がそうしていたのだから。松田くんは私の名前を先ほど食べたショコラケーキのような甘さで呼ぶ。それは今まで聞いたことのない声だった。それだけで松田くんが私のことをどう思っているかわかってしまう。
「好きだ、観念して俺と付き合ってくれよ」
そう言って笑った松田くんに私はどうすればいいかわからなかった。
嘘は感じられなかった、本心なんだと思う。だけどここまでして私と付き合いたい理由がわからなかった。そのまま家まで送られて部屋に籠り、一人で考える。松田くんはどうしてここまでして付き合いたいのか、わからなかった。正直好きとか言われてもよくわからない、高校生になってこの状況はやばいと思う。わかっているけど、どうしたらいいのかわからなかった。松田くんのことを好きかどうかという問題だと思う、だけど自分の気持ちがわからなかった。松田くんを恋愛的感情で好きなのか。それがわからなかった。友達に相談するにも出来ない、だから誰に相談すべきかもわからなかった。わからないことだらけだ、どうしたらいいのか、今の私には何もわからなかった。
「それで俺に相談?」
「萩原くんしか頼れる人いないもん……」
女友達に話したら何と言われるのかわからず、両親にも相談できず、唯一頼れるのは松田くんの親友だけど私の唯一の男友達の萩原くんにしか言えなかった。
「いや、ごめんね。俺もきみは松田と付き合っていると思ってた」
「今の状況を生み出したのは私の責任でもあるので……」
「いや、ここまで外堀埋められて自分の責任とか感じなくていいよ。むしろ一緒に松田を殴ろう?」
「松田くんを殴ったらこの問題が解決するなら……」
「うーん、相当に悩んでいる」
今、松田くんは部活中なため、吹奏楽部が使っていない空き教室で萩原くんに相談していた。親身に聞いてくれるから老若男女にモテるのもわかるなぁと思いながら萩原くんを見る。
「でも、松田から告白されたんでしょ?」
「……ここまでするほどの、好きって、なに?」
その言葉に萩原くんは返答に困った顔をした。松田くんがここまでするほどの感情がわからなかった。初恋をしていないわけではない、だけど、松田くんが持っている感情と私が考える好きという感情は違うと一晩で考えた。だからここまで困っている。松田くんの持っている好きという感情と、私の考える好きという感情は違う。だから、どうすればいいかわからなかった。
「ちなみに、松田のことはどう思っているの?」
「……それも結論が出てない」
「あー、八方塞がりってやつか」
「四面楚歌だよ、もうどうしよう……」
「大丈夫、俺がいる」
「萩原くんは絶対に私じゃなくて松田くんの味方につくよ」
「何その絶対的な信頼みたいなやつ」
萩原くんは困ったようにして笑った。私もこんな状況になるなんて思わなかった、過去の自分を恨む。
「ちなみに、松田に彼女扱いされててどう思ってたの?」
「……松田くんに言わないでね」
「うん、絶対に言わない」
「松田くんに彼女が出来たら、こんな風に接するのかなって思って、なんか嫌な気持ちになった。松田くんに彼女が出来たら嬉しいけど、複雑」
「……ねぇ、それを松田に言っていい?」
「言わないって約束したでしょ!?」
「だって、それが答えだよ」
そう言われて何が答えなのかわからなかった。萩原くんに相談しても、松田くんに対しての感情はわからないままだった。
萩原くんは馬に蹴られる前に帰ると言って帰って行った。私は一人で空き教室にいて、松田くんを待っていた。松田くんを待たなくてもいいと思ったが朝に家まで来て帰りはいつも通り待ってろと言われたので律義に待っていた。携帯で今日は図書室じゃなくて空き教室にいると連絡してあるため、困ることはない。困っているのは私だけ、そう思って机に伏していた。足音がして松田くんが来たんだなと思って顔をあげる。すると案の定扉を開けたのは松田くんで私は机に置いていた鞄を持って松田くんのところまで行く。
「帰るぞ」
「うん」
いつものように松田くんの横を歩く。萩原くんが思ってることをそのまま伝えたらいいって言ったけど、どう言えばいいかもわからなかった。するとするりと私の指に松田くんの指が絡んできて恋人つなぎをしてきた。
「ま、松田くん?」
「いいだろ、別に」
松田くんはぎゅっと手を握るから私は手を離せなかった。振りほどけばいいのに、嫌だと否定すればいいのに出来ない。自分でもわからない、だけど、このままがいいと思う自分がいる。松田くんが私の名前を呼ぶ。松田くんの顔を見ると、松田くんは私を見ていた。
「なぁ、嫌がらないのか?」
「……なんで松田くんはこんなことするの?」
「お前が好きだから」
その言葉に私は目を逸らす、松田くんは私の手を強く握って逸らすなと言わんばかりの態度だ。逸らした視線を松田くんに戻す、松田くんはそんな私を見て笑った。
「で、答えは出たのか?」
「……出てない」
「萩がもう出てるって言ってたぞ」
心の中で萩原くんを罵倒した、多分萩原くんは悪びれない態度で謝るだろう。目に見えてわかる。
「で、どうなんだ」
返事を催促してくる松田くんに、私は思ったままのことを伝えることにした。
「……松田くんにね、彼女みたいに扱われて、彼女が出来たらこんな風に扱うのかなって考えたら嫌になった。松田くんに彼女が出来たら嬉しいけど複雑」
「なら付き合うか」
「なんでそうなるの!?」
「お前が彼女ならその問題は解決するだろ」
その言葉に確かにそれはそうだなと思って頷こうとしたが、引っかかるところがあったので頷かなかった。
「でも、私、松田くんのこと、どう思ってるかわからないよ?」
「……は?」
「松田くんが私に対して持ってる好きっていう感情と私が松田くんに対して持っている感情は違うと思うの」
「同じだろ」
そう断言してきた松田くんに目を丸くした。
「俺に彼女が出来たら嫌な感情になるってことは、俺のことを好きってことだろ」
「そう、なの?」
「……鈍感にも程があるだろ」
そう言って松田くんは足を止めた、気が付くと私の家の近くの公園だった。松田くんは公園に入って私は手を繋いでいるからそのままついていく。すると松田くんは一目がない場所まで来て私を見た。そして私の髪を撫でて、そのまま顔を近付けてきた。唇が重なる寸前の距離まで顔を近付けて、私を見る。
「俺がこのままキスするって言ったら、お前はどうする?」
松田くんの吐息が唇に当たる、このままキスされたら、私はどうなるのだろうか。嫌な気持ちにはならないと思う、だけど付き合ってないのにキスしていいのだろうか。そんなことが頭の中でぐるぐるとまわる。松田くんにキス、されたらどうなるのか。誰一人いない人の声すらしない静寂な公園で松田くんにキスされたら、どうなるのか。松田くんにキス、されてもいい気がする。松田くんのどこかの国の王室で御用達の高貴な青い色の目が私を捉える。そのまま、キス、されてもいい気がする。流れでそうなっているわけではないとわかっている、松田くんだから、そんな気持ちが芽生える。私は、この気持ちの名前を知っている。
「このままキスしたいって言ったら駄目、かな?」
多分、否絶対に私は松田くんのことが好きだ。そうわかって松田くんを見る。松田くんはそんな私を見て、笑った。
「やっと自覚したか」
「ごめんね、遅くて」
困ったように笑う、松田くんが私の後頭部に手を添える。あ、キスされる。そう思って目を閉じる。そして唇に私のと違った体温で少しカサついた唇が重なった。それは数秒で離れて、目をうっすら開けると松田くんの端正な顔が目の前にあった。
「初めて、だよな」
「初めて、だよ」
「俺も」
そう言って二人で笑った。そのまま松田くんの手はするりと後頭部から離れて私の手を握る。松田くんはどこか嬉しそうで私もそれを見て嬉しくなった。このまま二人ならそれでいいと思えた。
陣平くんの初恋相手は、萩原くんのお姉さんらしい。そんな情報を萩原くんから聞いた。そういう私の初恋相手は近所に住んでいた年上のお兄さんだということを萩原くんは知らない。そんなことを話したら陣平くんが嫉妬するということを私は知っているからである。萩原くんに話したら陣平くんまで話が通ってしまうので話すにも話せなかった。そんなある日、陣平くんに家まで送ってもらっていると初恋のお兄さんと出会ってしまった。お兄さんは私に気付いて声をかけてくれた。陣平くんは私に誰だと言わんばかりの説明を求める顔をする。
「近所に住んでたお兄さん」
「どうも、斎藤です。もしかして、恋人だったりする?」
「そうっす」
陣平くんは否定もせずにすぐに肯定をした。そんな態度を見てお兄さんは意地悪そうにして笑う。なんだか嫌な予感がするなぁと思いながらいるとやはりその予感は的中した。
「昔は俺のお嫁さんになるって言ってたのに、恋人が出来ちゃったか」
「あれは昔の話だよ」
「目に入れても痛くなかった幼馴染に恋人かぁ、俺も歳を取るはずだよ」
「お兄さんも恋人いるでしょ」
「この間別れちゃった」
あははと乾いた笑みを浮かべる。お兄さんは多分私を揶揄いたいのだろう、妹みたいな幼馴染に恋人が出来たら揶揄いたくもなる。そうわかっているから適当に話をしていた。
「じゃ、俺帰るね」
「新しい恋人出来たらいいね」
「うっわ、厳しいお言葉ありがとう」
そう言ってお兄さんは手を振ってそのまま帰って行った。ずっと無言のままの陣平くんの顔を見ると真顔だった。
「……あの、陣平くん?」
「さっきの話、本当か」
「えっと、まぁ、初恋相手、でしたね」
そう言うと陣平くんは私を見る。その眼には嫉妬心が目に見えてわかった。
「でも、私今は陣平くんが一番好きだよ?」
「それは、わかってる」
それならそれでいいじゃないのかな、と思いながら陣平くんを見る。どうしてか口をもごもごとして何か言いたげだった。何が言いたいのかわからない私は陣平くんをちゃんと見る。すると自ずと答えが分かった。
「初恋相手が自分じゃなかったことが嫌?」
「……そうだな」
そうわかると私は困ったようにして笑う。
「私も、陣平くんの初恋相手が私じゃないことくらい知ってるよ」
「……萩か」
「でも今が重要じゃないのかな、刹那主義って言われてしまうかもだけど。私は今陣平くんに好かれてるってわかってるし、陣平くんのことちゃんと好きだよ?」
「わかってる、けど」
「けど?」
「俺の知らないお前をあの人は知っているからなんか、気に食わない」
そう言われてしまい、私は思わず笑ってしまった。そんな私の態度に陣平くんは気に食わないようで私は笑う。
「だって、あのお兄さんは知らなくて陣平くんしか知らない私のこと、たくさんあるじゃない?」
そう言えば陣平くんは少し沈黙して納得した。そして清々しい笑顔になって私を見る。
「それもそうだな」
納得してもらえたようなので私は再度笑ってみせた。
「陣平くん、私のこと、本当に好きだね」
「当たり前だろ、恋人なんだから」
「それでも嬉しい」
そう言ってにひひと笑うと陣平くんもまた笑った。
「萩原くんの初恋相手って誰?」
「唐突に何?」
「昨日陣平くんに初恋相手を知られてしまった」
「え、誰?」
「近所に住んでた年上のお兄さん」
そう言うと萩原くんは納得してしまった。誰もが初恋は叶わないというジンクスがある。そんなことを考えながら萩原くんの話を聞く。
「で、萩原くんの初恋相手は?」
「うーん、秘密で」
「秘密主義め」
「そんなんじゃないよ」
困ったように笑う萩原くんに私は萩原くんを見る。高校で一番モテていると言われても過言ではない萩原くんの初恋相手が誰か気になる。
「松田みたいに恋をしたことがないから、初恋してないって言ったら笑う?」
「あー」
陣平くんがそばにいると恋というものの概念が変わってしまう。事実私も最初はそうだった、愛が重たいということはここまで弊害を生むのか。そんなことを考えながら紙パックにささったストローを口に咥えてミルクティーを飲んでストローを口から離す。
「陣平くんは特殊なだけで、事実気になる人とかいなかったの?」
「どうだろ、わからないな」
そう言って萩原くんは考えこむ、萩原くんの初恋相手ってどんな人なんだろう。保育園の先生とかだったりするのかな、もしくは幼馴染の年上のお姉さん。そんなことを考えていると萩原くんの笑い声が聞こえた。
「やっぱりいないや」
その声色に嘘が感じられたがここまで深堀しても言いたくないのなら追及するつもりはない。そう思って笑う。
「そっか」
そして話題を変えると萩原くんは安堵した表情になってその話題に食いついた。そこまで私に話したくないのか、そう思いながら萩原くんと話していた。陣平くんに聞いても話してくれなさそうだしまぁいいかと思ってその話題について触れなかった。
大学は萩原くんと陣平くんと私、三人一緒であるが私だけ学部学科は違う。キャンパスは一緒であるため、たまにすれ違う程度になった。集まって話すのはもっぱら夜になってしまった。アルコールを摂取してもいい歳にはなったがたまに陣平くんと私は年齢確認をされるのでその度に萩原くんに笑われてしまう。今日は三人で集まるという日で、いつもの居酒屋に行く。もう二人は先に入っているということを知っているので萩原くんの名前を店員さんに言うと個室に案内された。扉を開けるとそこには私を待ち構えていた二人がいて笑ってしまった。
「ごめん、バイト長引いた」
「まじかよ」
「んじゃ、何飲む?」
陣平くんの横に座って、萩原くんからドリンクのメニュー表を渡されて明日バイトがないなと思いながらカシスオレンジを頼もうと考える。店員さんを呼んでドリンクといつも頼んでいるアラカルトを頼んで店員さんが下がるのを見て笑った。
「なんでバイト長引いたの? 塾でバイトしてたよね」
「受け持ってる生徒の人生相談」
「お前に相談しても意味なさそうなんだけど」
「こう見えて人気講師なんです」
「見えない」
「嘘だ」
くだらない話をしていると頼んだドリンクが来て、そのままグラスを近付けて乾杯と言ってアルコールを飲んだ。
「明日バイトないからラッキー」
「だから一人だけアルコールかよ」
「日頃の行いと思って」
「陣平ちゃんも明日バイトないよね?」
「あれ、そうだっけ」
「明日デートするって言っただろ」
携帯の画面をつけてスケジュールアプリを開くと明日デートと書いてあった、やば。
「ごめん、アルコール飲んじゃった」
「一杯なら許す」
「というか萩原くんは明日バイト?」
「というか俺もデート」
その言葉に私と陣平くんは沈黙してしまった。え、萩原くんに恋人いたの? 聞いてない。
「……は?」
「え、恋人出来たの?」
「うーん、一応?」
「なぜ曖昧に言うの」
「まだ付き合ってないからね」
そうあっけらかんとした態度で言うから私は首を傾げた。萩原くんは今まで恋人を作ってこなかった、理由は知らないが踏み込んで聞く理由もないため、聞かなかった。それが今、デートという。
「私も知ってる人?」
「いや、知らない」
萩原くんはそう言って先ほど届いたフライドポテトを口に入れる。ところでなんで陣平くんは黙ったままなんだろうか、ふと横に座っている陣平くんを見ると真顔だった。怖すぎる、やめて。
「陣平くん、顔怖いよ」
「陣平ちゃん、もしかして嫉妬?」
「いや、嫉妬とかじゃない。萩が恋人作るのかって思って」
「嫉妬じゃないですか、というかこうやって三人で集まれなくなったりする?」
「うーん、それはないと思うけど」
「でも恋人でもない異性と会うのってなんか恋人としては嫌じゃないの?」
「陣平ちゃんいるから大丈夫でしょ」
「陣平くんありがと~」
「何に対しての感謝だよ」
「萩原くんに恋人が出来ても女友達としてまだ会える可能性が出て来たってことに対して」
そう笑って話すと萩原くんはどこか義心地ない笑みを浮かべる。それで私は変なことを言ってしまったのかと思い萩原くんに聞こうとすると陣平くんが間に口を挟んだ。
「俺の存在に感謝しろ」
「傍若無人すぎるよ、陣平くん」
陣平くんがさらりと話題を変えたので私は萩原くんの態度を気にかけたが誤魔化すようにして取り繕っていたのを見て、触れない方がいいのかなと思って触れないようにした。
萩原くんが明日デートということで早めにお開きになって陣平くんに家まで送られている。
「萩原くん、彼女出来るのかな」
「さぁな」
「親友なのに興味なさすぎでは」
「お前が興味持ちすぎなんだよ」
そう言って一人暮らしをしているアパートまで送られる、陣平くんは今日は泊まらずに帰ると言っていた。明日も会うから泊まればいいのにとか思っていると陣平くんはそのまま私を借りているアパートの部屋の前まで来る。
「じゃあ明日ね」
「……なぁ」
「どうかした?」
「お前は、俺のこと、どれだけ好きなんだよ」
何かを探ろうとしている陣平くんの目を見る、冗談でもなさそうな顔をしている。何かを知りたがっている、多分私の考えをだ。どう返答していいか、アルコールで鈍った思考回路を動かす。
「陣平くん、私は陣平くんが死んでも生き続けるタイプって思ってるでしょ?」
「……まぁ、そうだな」
「そんなことが起こったら私は陣平くんのところへ向かうよ」
その言葉に陣平くんは目を見開く。その態度に私は意地悪そうに笑う。
「陣平くんが思ってる以上に私は陣平くんが好きだよ、たとえ誰に何を言われても陣平くんのことが好きだから心配しなくてもいいよ」
「愛が重たいな」
「陣平くんに言われたくない」
そう言って笑うと陣平くんもつられるようにして笑う。
「陣平くんは、私が死んでも生き続けてね」
「なんでだよ」
「私のために人生をめちゃくちゃにしなくてもいいってこと、わかった?」
陣平くんは納得しないような態度だけど頷いてくれた。それだけでよかった。多分、否絶対に陣平くんは仲の良い人には存分に甘く愛情が底無し沼より深い。それを知っているから、私が死んだらどうなってしまうのかわからない。だから約束した。それを守ってくれると良いんだけどなぁと思いながら笑って陣平くんに手を振ってそのまま玄関の扉を閉めて施錠をした。
「花束を作って欲しいんです」
「そう、告白しようと思って」
「彼女、白い薔薇が好きでそれをメインにした花束を」
俺の初恋は桜のように呆気なく散ってしまった恋だった。好きになったと思えばその相手は親友の恋人だったから。親友から略奪するつもりもなく、初恋は叶わないものだと思い込んで諦めて、彼女の好きな花で作られた花束を持って葬儀場に向かう。
思えば彼女は俺を男友達としか見てないことくらいわかっていた、だけど、それでも好きだった。高校のとき、親友と恋人ではないと聞いたときに告白をすればよかったのに、しなかったのはもうそのときには彼女が親友のことを好きだとわかっていたから。だから口に出せなかった。出したらどうなるかわからなかった、もしあのとき、俺にほんの少しの勇気があれば、今の状況も変えられたのではないかという結果論を今でも考えている。
葬儀場に到着した、花束を持った俺はやけに目立つのだろうと思いながらそのまま中に入る。喪主である親友は俺を見て目を見開いた。
「萩……」
親友に近付いて、そのまま親友を俺は花束で殴った。なんのために俺が身を引いたのか、親友は知っていたはずだ。なのに、どうして、こんな形になったのか。
「俺は、お前なら彼女を幸せにしてくれるって信じてた、なのになんだよこれは」
「萩原、落ち着け」
「松田、なんでお前がいたにも関わらず彼女は死んだんだよ! なんのために身を引いたのかわからねぇじゃねぇか!」
「萩原!」
「ふざけんなよ!」
同期の班長と諸伏に抑えつけられるがそれでも俺の怒りは収まらない、どうして、なんで、彼女は死んでしまったのか。松田はそんな俺を見て口を開かなかった。
彼女は雨の日に通り魔に刺されて死んだ。しかも隣に松田がいたにもかかわらずだ。松田を責めても仕方ない、だけど、それでも俺は許せなかった。何のために俺は身を引いたのか、どうして、こうなってしまったのか。彼女を救いたい、それだけが俺の人生の心残りだった。
松田と彼女の結婚式に招待されたとき、ひっそりと彼女に想いを打ち明けようとしたが、今にも幸せを噛み締めている彼女の顔に俺は口を噤んだ。これから幸せになる彼女に呪いをかけてどうするんだ。祝福を授けるのが普通だろ。そう思って踏み止まった。それなのに、何故こうなったのか、俺には何もわからなかった。それなら、彼女にちゃんと告白をして、ちゃんとフラれたかった。
松田は俺の想いを途中から気付いていたと思う。だから恋人が出来ることにも長いこと続かないことにも口を出さなかった。俺はこのまま独り身なんだろうなぁと思いながらいた。それでもよかったのに、俺は、彼女の隣に立てられたらよかったのに。出来なかった。これはこのまま膿んだ傷のように残っていくんだろうなと思っていた。それならそれでよかったのに。何でこんなことになったのか。誰にも予想できなかったことを松田にぶつけても仕方ないとわかっている、だけど、それでも、そばに居たなら守ってやれよ、助けてやってくれよ。俺の初恋相手を、助けてくれよ。それだけが俺の願いだった、俺の唯一の、後悔だった。
「なぁ、萩。これは迷信なんだが、過去に戻れる方法が一つあるらしい」
「萩が、それをするかしないかは自由だ」
「もし、戻れるとしたら、萩はどうする?」
私という人間はちっぽけな人間であると明記しておく、すごいことを成し遂げたことなどない。一般家庭に生まれたごく普通の女の子だ。ただ、人より嘘を見抜くのが早いだけ。それ以外は普通である。
普通のわりには、小学生の頃から顔の整った萩原研二くんと一緒にいる。ニコイチと言われても仕方ないくらい仲が良い。萩原研二くんのお姉さんにも研二と結婚したら良いと言われるほど仲が良い、萩原研二くんの姉の千速ちゃん曰く私は妹的存在らしい。そんな萩原研二くんの親友である松田陣平くんには嫌われている。話そうとしても逃げられるし、話を聞いてくれない。どうしたものか、そう思いながら研二くんの横をいつもどおり歩く。研二くんはいつものように今日何があったとか面白い話をしてくれる、私はそれを聞きながら笑っていた。小学生の頃から身長が高い研二くんは高校生になってまた一段と身長が伸びた。高校生活は楽しい、ずっと一緒だった研二くんが恋人になったからそれなりに順風満帆である。研二くんの親友には嫌われているけど。研二くんが私の名前をケーキに乗っている砂糖で出来たお菓子のような甘さで呼ぶ。
「どうかした?」
「いんや、幸せだなって思って」
「そう?」
不思議なことを言うなぁと思いながら研二くんが幸せそうにして笑うので私は首を傾げた。
研二くんは私に対して独占欲が強い、特に彼の親友の松田くんの話をしようとしたら顔を強張らせる。嫌なんだろうなと思ってその話題を逸らしていつも話している。研二くんは親友であるはずの松田くんの話を私にしない。他ではどうなんだろうかと思って同じクラスの男子に聞くと研二くんと松田くんは仲良く話しているということを聞く。私が浮気をすると思われているのだろうか、そんなことはしないのになぁ、そう考えながら同じクラスの松田くんの背中を見る。研二くんと違って松田くんと私には関係がない、なぜ嫌われているのか理由すらわからないのでただ松田くんの背中を見ていた。喋りたくない相手なのか、私は。理由を知りたいけど、研二くんにバレたら嫌がられるんだろうなと思ってそのまま視線を逸らした。研二くんは私を溺愛している。別に彼氏の親友に嫌われても仕方ないと思えばそうなんだろうが、何故か心のどこかが違和感を覚える。松田くんは、どうして私を嫌っているのだろうか。
好きと嫌いは紙一重、好きの反対は無関心という言葉がある。そんな言葉を頭に浮かべながら目の前にいる松田くんを見ていた。同じクラスでたまたま教室に残っていた私と松田くんが担任に呼ばれて雑務を任された。眉間に皺を寄せながら松田くんは目の前に作業をしていた、私といるのがそんなに嫌なんだろうなと思いながら私も沈黙しながら淡々と作業をこなしていた。彼氏の研二くんには担任に雑務を頼まれたから先に帰ってほしいと伝えてある、松田くんと一緒なことは伝えてない。作業を終えて下に向けていた視線を松田くんに向けると一瞬視線が重なった、すぐに視線は逸らされたが。松田くんの作業は終わっていた、担任を呼ぼうと思って席を立つ。すると、松田くんが私の苗字を呼ぶ。
「……どうかした?」
「萩と、付き合ってるのか」
「そうだよ」
「そう、か」
その言葉に違和感を覚えた、親友である研二くんが私のことを伝えていないわけがない。だけど松田くんはそのことを確認した。まるで知らないように。
「松田くんは、研二くんと親友だって聞いてるけど。聞いてないの?」
その言葉に松田くんは私に視線を向ける。その視線にはどこか嫉妬が含まれている。どうしてだ、わけがわからない。松田くんは私のことが嫌いだから、研二くんが話していないだけかもしれないと思ってそのまま黙っていた。するとその雰囲気の中担任が顔を出して、雑務が終わっているのを確認して私と松田くんにお菓子を渡してそのまま解散となった。担任がそのまま職員室に足を運ばせたのを確認して携帯の画面を開いて見ると、研二くんが学校の玄関で待っているという趣旨の連絡が来ている。私はそれを見て今終わったからそちらに行くと連絡して鞄を持ってそのまま教室を出ようとした、しかし腕を掴まれた。どうかしたのだろうか、松田くんは。松田くんは、私の苗字を砂糖を煮詰めて作るカラメルソースを焦がしたような甘さで呼ぶ。私はどうしてか、その声色を知っている。黄昏時、逢魔が時、マジックアワー、そんな言葉たちで言い表される時間帯に松田くんの暗く濃く青い目が私を捉える。その目には後悔を滲ませている。
「好きだ」
私は松田くんからその言葉を聞いたことがある気がする、どうしてだろうか。そんなことが頭によぎる。それだけで、どうしてか涙が出るほど嬉しい。おかしい、だって私は研二くんの恋人だから。だから断らなくてはならない。なのに、どうしてこんなに嬉しいのかわからない。だって、こんなこと、おかしいはずなのに、どこか心がそれを聞きたがっていたと叫んでいる。私は松田くんの手を振りほどいて鞄を持って女子トイレに向かって走る。おかしい、おかしいんだ。心の何かが喜んでいる理由を、私は知らない。
近くの女子トイレに入り、息を整える。研二くんに会う前にこの気持ちに整理をつけなくてはならない。だって、こんなの可笑しい。私は研二くんの恋人で、松田くんに好きと言われても嬉しいと感じるのはおかしいのだ。だから、だから、どうしてこんなに嬉しいのか理由がわからなくて、気持ち悪い。携帯が着信を知らせる。多分研二くんだろう、そう思って息を吐く。画面を見て研二くんからの着信だとわかって、電話に出た。研二くんの声色はいつも通りで今どこにいるのかという話だった。今から玄関に向かうと伝えて、そのまま鏡を見た。思わず携帯を落としそうになった。何故ならそこに映っていたのは、顔が恋する乙女のように頬が赤く染まっていてとしていて、まるで好きな人に告白されて嬉しがっているような自分の顔だった。おかしい、こんなのはおかしい。私は、松田くんのことが好きでもないというのに。
研二くんに心配されながらそのまま合流して、一緒に帰る。そのまま家まで送られて手を振ってそのまま家に入る。研二くんにバレたくなかった、心がおかしいことを。松田くんのことを気にしているとバレたら研二くんが嫌な気持ちになるということを、研二くんは私が松田くんに対して興味を示すと嫌な顔をすることを知っているから。だから、知られてはいけない。このことは、秘密にしておかなくてはならない。私は、研二くんの恋人だから。
研二くんのことが好きかと言われたら好きである、だから研二くんと付き合っている。研二くんはちゃんと私に対して向き合ってくれている。だから、私も誠実に向き合わなければいけないというのに、松田くんに対しての感情に関しては隠している。松田くんを知りたい、知ってどうしていきたいかなんてわからないくせに、どこか松田くんを探す自分がいる。それは付き合っている研二くんに対して不誠実であるというのに、どうしてか、私は松田くんを心のどこかが求めている。
次の日、いつも通りに研二くんが家まで迎えに来てくれて、そのまま一緒に学校に向かう。いつも通りなはずなのに、どこか浮かない自分がいて気味が悪い。研二くんのことが好きなはずなのに、松田くんに恋焦がれて身を焼いてしまっているような感覚で気持ちが悪い。私は、松田くんのことを何一つ知らないというのに。そのまま研二くんに教室まで送ってもらい教室に入ると松田くんと視線が重なった。すぐさま私は視線を逸らして自分の机に鞄を置いてそのまま友達のところへ向かう。挨拶を交わしてそのまま雑談を交わした。胸の鼓動が早いことに気付かないようにして。
私という人間は嘘発見器である、人が嘘を吐くとなんとなく嘘であることがわかる。研二くんが私と松田くんに接点を持ってほしくないということは嘘ではなく本当である。そして、松田くんが私に言った言葉も嘘ではないとわかった。本当ならあのときに逃げずに研二くんのことが好きであるから、と断ればよかったのに、どうしてか心のどこかがその言葉を待ち望んでいたかのような感覚になり、心が苦しくなって矛盾している気持ちが生まれた。今は、自分のどれが嘘なのかわからなくなった。研二くんが好き、松田くんの言葉が嬉しい、これは可笑しいのだ。倫理が破綻している。それをわかっているはずなのに、どうして、私は――。
昼休み、教室の一角で友達といつものように昼食を食べて、雑談を交わしながらいると私に影が覆い被さった。誰だろうと思って振り返ると研二くんがいた。私を見て研二くんは笑って私の名前を呼ぶ。
「研二くん、どうかした?」
「今日、委員会あって一緒に帰れないことを伝えに来て。一人で帰れる?」
「うん、大丈夫だよ。高校生だし」
そう言って笑うと研二くんは笑ってそのまま教室を出ていった。その様子を見ていた友達がぼそっと呟く。
「なんか、なんとなくだけど萩原くんってあんたにだけ執着してるよね」
「やっぱり? なんでだろ」
「あんたを取られたくない相手でもいるの?」
その言葉にふと松田くんが頭の中で浮かんだ。萩原くんは、松田くんが私のことを好きなことを知っているのか。そうだとしたら執着しているのもわかる。それだとしたら、私は松田くんに対して向けている感情を知られてはいけない。それがわかったので、松田くんに対しての想いを捨てる決意をした。
帰り道、友達と別れてそのまま自宅に向かう道を歩く。隣に研二くんがいないので違和感を感じながら一人歩いていると後ろから足音が聞こえる。横を通り過ぎるだろうと思ってゆっくりと歩くと後ろの人がなかなか抜いてくれない。もしかして不審者、そう思って鞄につけていた防犯ブザーを握りしめる。研二くんに何かあったときにと貰ったものだ。ちらりと後ろを振り向くと知らない男性だった。私の顔を見てにやりと笑って鞄から刃物を取り出してそのまま私に向かって走ってきた。襲われる、そう思って防犯ブザーを鳴らそうとした。しかし間に合わず私は知らない男性が手に持っている刃物で刺される、そう思って防犯ブザーを強く握って思わず目を閉じた。すると頬に何かがかすったような感覚を感じて、そのまま恐る恐る目を開けると知らない男性は地面に伏していた。どうして、そう思っていると聞き覚えのある声が私の名前を大きく呼ぶ。その声の持ち主を私は知っている。この声は、松田くんだ。
「大丈夫か!?」
その声で私はその場で座り込んでしまった。近くにいた女性が警察に通報をしてくれていて、周りは騒然としていた。恐怖で身体の震えが止まらない、松田くんがいなかったら私は確実に刺されていた。怖かった、それと同時にどうしてか、身に覚えのある光景な気がした。意味が分からない、なんで、どうして。どうして、私の頭の中で松田くんと相合傘をしている記憶があるの。
警察官が来て、犯人を取り押さえてくれてそのまま私と松田くんは最寄りの警察署まで連れていかれた。私は被害者、松田くんは犯人に正当防衛とはいえ暴力をふるったからという理由らしい。女性の警察官にブランケットを肩にかけてもらい、そのまま警察官に聞かれたことを答えた。怖かった。それと同時に頭の中で松田くんの名前をホワイトチョコレートより甘く、誰よりも愛おしく、まるで恋人のように呼ぶ自分の声が聞こえた。可笑しい、この記憶はなんだというのだ。頬に大きな絆創膏を貼られそのまま保護者が迎えに来るのを待っていてと警察官に言われた。すると松田くんが部屋から出てきて一緒に保護者が来るまで待っていてと言われ、そのまま一緒の空間にいることになった。沈黙が続いたが、最初に口を開いたのは松田くんだった。
「……間に合わなくてわるかった」
「なんで、松田くんが謝るの……?」
悪いのは犯人なのに、そう浮かんだ疑問を松田くんにぶつける。すると松田くんは私の頬に目を向ける。
「顔に、傷を、つけられた」
その言葉に私は松田くんを見る。どうしてか、泣きそうな松田くんに私は無理矢理笑って見せた。
「助けてくれて、ありがとう」
そう言うと松田くんは、そんな私を見て腕の中に引き入れるようにして抱きしめた。私は抵抗することより、どうして。この体温を知っている自分がいることに、違和感を覚えた。どうして、私は松田くんの体温を知っているのか。松田くんはそのまま離れるようにして私の背中から手を離す。それがどうしてか寂しかった。そんなことを思ってはいけないのに。どうして、なんで、自分の感情がわからない。どうして、私は松田くんを愛おしく思っているのかがわからなかった。
両親が迎えに来てくれて、助けてくれた松田くんに感謝を述べてそのまま両親と共に帰ることになった。松田くんもこのあと両親が来るらしい。家について携帯を見ると研二くんから連絡が何件もあった。研二くんに返信をして、そのままお風呂に入り、横になる前に一枚の紙を取り出して今まで浮かんだ疑問を紙に書いて整理しようとした。どうして、松田くんを愛おしく思っているのかわからない。それが唯一の疑問だった。今まで松田くんと接点がなかった、だから松田くんを愛おしく思うことは可笑しいことだ。なのに、私は可笑しい。この感情を捨てるはずが、逆に捨てられなくなっていた。研二くんに不誠実だ。わかってはいる、だけど、松田くんのことを愛おしく思っている自分がいる。ペンを強く握って、なにか見落としていることはないか考える。だけど、何を見落としているのか、私にはわからなかった。
通り魔に襲われてから一週間、父親が学校の送迎をすることになった。研二くんには起きたことを伝えてある、松田くんに助けられたことも伝えてある。しかし松田くんのことを愛おしく思っていることは伝えてない。このことを伝えるべきなのか考えていた。松田くんとの記憶があるというのが可笑しいのだ。まるで、私が松田くんと付き合っている記憶があるなんておかしい。こんな白昼夢みたいなことを研二くんに伝えたら浮気と疑われるに決まっている。だから話せなかった。どうすべきか考えていた。今の自分の状況すらわからない、どうしたらいい、どうしたらこれは分かるのか。なにもわからない、なにが問題で、なにが答えかすらわからない。どうしたらいいか、教えてほしかった。
そんな中、放課後の教室で一人研二くんを待っていた。すると研二くんが片方の頬を腫らせて私の前に来た。私は驚いて思わず持っていたボールペンを落とした。
「研二くん、頬どうしたの!?」
「あー、いや、ちょっとね」
「腫れてるよ、冷やした方がいいと思うし保健室に」
混乱しながら言葉を選んで保健室までの道のりを考える。すると研二くんが、私の言葉を遮るように手を掴む。その手の力は強くて、思わず顔を顰めてしまった。
「ごめん、俺がそばにいてあげられなくて」
「なんの、話?」
「通り魔に襲われたとき、一緒に帰られなくてごめん」
「あれは、委員会があったし仕方ないんじゃ」
「それでも! 俺が、助けてあげたかった……!」
その言葉に私は目を丸くした。研二くんが、こんなに泣きそうな顔で私を見ている。こんなに、愛されているというのに。どうして私は松田くんを愛おしく思ってしまうのか。わけがわからない。ありえない記憶が私の思考をぐちゃぐちゃにしていく。研二くんが好き、松田くんが愛おしい。ぐちゃぐちゃになっていく感情のせいで泣き出しそうになる。研二くんはそんな私を見て腕の中に入れた。この体温を知っているはずなのに、違和感を感じる。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。私は、どうしたらいいのかわからなかった。
研二くんを大切にしたいのに、心のどこかで松田くんを求めている自分がいる。そのことがもう研二くんを傷つけてることくらいわかっている。松田くんを気にかけなければいい話なのに、どうしてか松田くんを目で追ってしまう自分がいる。そんなことを繰り返して、自分が一番不誠実だと思った。これではダメだ、わかっているのにできない。研二くんを傷つけたくない、でも松田くんを求めている。松田くんを求めている理由がわからないというのに、どうして、なんで。
球技大会が行われる時期になった、私はぼんやりとしていた。いつまでも答えが見つからない問題を解かされているような気分だ。答えがあれば、私も気が楽になるというのに。ぼんやりとしていたのが悪かったのか、隣にいた友達が叫んでいたことに気付いた頃にはボールが目の前まで来ていた。ボールに頭がぶつかって、そのまま意識が飛んだ。そして、人一人の人生が頭の中で流れ出した。幼少期から嘘が嘘だとわかること、それがきっかけで松田くんと交流が始まったこと、萩原くんにも絡まれるようになったこと、松田くんと付き合うことになったこと、はっきりと思い出せる。全部、私の記憶だ。多分今は二回目の人生を送っているということになる。だとしたら、なんで。目を覚ますと見慣れない天井で私は身体を起こす。視界が滲んでいて、自分が気付くまで泣いていたことがわかる。頭がクラクラとする、ボールが頭にぶつかったからだ。だけど、それでも、伝えなきゃいけない。全部思い出したと、陣平くんに。すると、私の名前を呼ぶ声がする。カーテンで仕切られていた場所が開かれる。その声の持ち主は、研二くんだ。
「大丈夫?」
「けん、じくん」
「もうちょっと寝てなよ、頭ぶつけたんだし」
そう言って私をベッドに戻そうとする研二くんに私は抵抗の意味で手のひらで研二くんを押す。研二くんは不思議そうにして私を見る。私は研二くんを見て、何と言えばいいかわからなかった。思い出したと言っても、私だけが一回目の人生の記憶を所持している可能性がある。陣平くんが所持していなかった場合、何言ってんだこいつみたいな感じになるかもしれない。今の私は萩原研二くんの彼女だ、松田陣平くんの彼女ではない。そしたら、どうしたらいい。先程思い出したことを伝えても研二くんが記憶を所持していなかったら、視線を下に向けてそんなことを考えていると研二くんは口を開いた。
「言いたいことがある?」
「……うん」
「それは、一回目の人生の記憶が戻ったことについて?」
その言葉に私は下に向けていた視線を研二くんに向ける。研二くんは困ったようにして笑い、私の名前を砂糖菓子のような甘さで呼ぶ。
「そっか、うん」
「研二くん」
震える声で研二くんの名前を呼ぶ。研二くんは私を腕の中に入れて強く抱きしめた。
「ごめん、きみが松田に心を揺るがしてるのもわかってた。だけど、それでも、俺はきみが好きだ。だから、俺をちゃんとフッて」
その言葉に私は今までの記憶がよみがえる。研二くんはいつだって私を好きでいてくれた、愛してくれた。だから、私は誠心誠意で研二くんの気持ちに対応してきた。だけど、ちゃんと考えると研二くんのことが好きと言い聞かせるだけで研二くんの想いにちゃんと応えられてきていなかった。今まで、ずっと研二くんを傷付けてきた。だから、ちゃんと研二くんの想いに応えなくてはならない。
「研二くん、今までありがとう。ごめんなさい、ちゃんと応えられなくて」
「うん」
「ずっと、傷付けてごめん。ちゃんと思い出した、だから、研二くん、私と別れてください」
「……うん、今まで夢を見せてくれてありがと」
そう言って研二くんは私を腕の中から解放した。研二くんの顔を見てはいけないと思って、そのまま研二くんの横を通り過ぎて、保健室から出る。探さなくてはならない、私が本当に好きな人、陣平くんのことを。
陣平くんを見つけたはいいものの、何を話せばいいかわからず球技大会も終わってしまい、そのままホームルームも終わってしまった。何やってるんだ私、そう思って途方に暮れてそのまま帰ろうと思ったら担任の先生に引き止められた。どうやら頭をぶつけたことに対してどうなったかの確認をしたかっただけらしい。学校の先生というのは大変だなと他人事のように思いながら、相槌を打っていると保健室の先生が心配してたと言われ、保健室に顔を出すようにと伝えられてそのまま担任は去っていった。保健室に顔を出して帰るかと思って鞄を持って保健室に向かう。しかし陣平くんと対面して何を話せばいいのだろうか、一回目の記憶を所持しているのだろうか。していたら話しやすいのになぁと思ってしまう。研二くんは、どこまで知っているのだろうか。研二くんに聞くのもなぁと考えて、保健室の扉の取ってに手をかける。失礼します、と言って入るとそこにいたのは陣平くんと保健室の先生だった。私は思わず目を見開く。保健室の先生は私を見ていきなり怒り出した。どうやら頭をぶつけてその後に保健室を抜け出したことに対しての怒りらしい。すみませんと言いながら心臓がバクバクと五月蝿く動いていた。保健室の先生は私に紙を出して保健室の利用した記録を書けと言われ、そのまま近くにあったスツールに座り記録用紙を書く。その間に保健室の先生は陣平くんと話をしていた。どうやら球技大会で指を捻挫したらしい。ボクシング部だから手を大切にしていたなと思いながら記録用紙を書いて提出して、保健室の先生に吐き気や眩暈があるか確認されて、そのような症状はないと伝えてそのまま帰ることにした。いや、待て。保健室の前で陣平くんを待つのはどうだろうか。嫌がるかな、どうしようか考えて待つことにした。保健室の前で鞄を持ちながらぼんやりと陣平くんを待つ。何を話せばいいんだろうか、そんなことを考えていると保健室の扉が動いた。そちらに視線を向けると陣平くんがいた。
「松田くん」
「……何してんだ、萩は」
「話が、したくて」
声が震える、手が震える。それでも意思は揺るがない。今、伝えなかったら、後悔する。そう思って陣平くんを見る。ああ、研二くんもこうだったのだろう。そう思って手を強く握る。
「私、松田陣平くんが好き」
そう言って陣平くんの濃藍の色をした目を見る。その目は揺れていた。
「萩と付き合ってんだろ」
「研二くんとは、別れた」
「なんで、俺なんだよ」
「笑われるかもしれないけど、私この人生は二度目なの。一度目のときから、ずっと、ずっと好きだった」
陣平くんはその言葉で顔を下に向けた。ああ、絶対に陣平くんは私と研二くんと同じで、同じ人生を二度繰り返している。
「それならわかってんだろ、俺と一緒にいても、幸せになれないって」
「私は、幸せだったよ。陣平くんと付き合えて、結婚して、幸せいっぱいだったよ」
「それでも! 俺はお前を救えなかった!」
陣平くんは通り魔に私が刺されて死んでしまったことを後悔している、それは一度目のことである。でも、それでも。
「二度目は救ってくれたじゃない、それじゃ、ダメなの……?」
その言葉に陣平くんは顔をあげて、私を見る。目尻には涙が溢れて落ちている。
「陣平くんのおかげで私はこうやって生きているよ、ありがとう」
陣平くんに一歩ずつ近付く。陣平くんは、愛情深い男だってわかっている。だから、私もその愛情に返すようにちゃんと不安を取り除いてあげたい。
「ごめんね、私が死んでも一人で生きてなんて言って。でもね、それが私の愛情だったの」
「わかってる、だけど、それでも!」
「私は今、陣平くんのおかげで生きてるよ」
そう言って陣平くんの前でちゃんと向かい合う。陣平くんの目には涙が浮かんでいて、私はそれを見て苦笑をした。
「私はね、陣平くんと幸せになりたい。わがままかな?」
陣平くんは私を腕の中に引き入れて、強く抱きしめた。私は、この体温が好きだ。
「幸せにする、だから、だから、俺と一生共に過ごしてくれっ……!」
その言葉に私は嬉しくて、陣平くんを抱きしめた。
そのまま陣平くんは部活に顔を出して、そのまま帰るらしい。一緒に帰ることを選んだ私は校門で陣平くんを待つ。すると目の前にバイクが停まって、誰だろうと思っていると、私の名前を呼ぶ。この声は。
「千速ちゃん!」
「聞いたぞ、研二と別れたんだって」
「あー、その節はすみません」
「謝らなくていい、お前が選んだんだ。それに研二だって、清々しい顔をしていたぞ。お前にフったことを後悔させてやるって言うくらいだから気にするな」
そう言って千速ちゃんは私の頭を撫でた。
「いい女だな、お前も」
「千速ちゃんに褒められた」
「陣平がそこで見てるぞ、またな」
そう言って千速ちゃんはヘルメットを被ってそのまま行ってしまった。
「千速と何話してたんだよ」
「んー、色々と?」
「秘密主義か」
「女性は秘密がある方が綺麗に見えるんだよ」
陣平くんはそれを聞いて手を差し出してきた。どうかしたのだろうか、そう思って陣平くんの顔を見る。
「手」
「て?」
「手繋ぐぞ」
「手だけじゃわからないよ」
私は苦笑して陣平くんの手の上に手を重ねた。そのまま手をするりと指を絡ませて握る。前は勝手に握ってきたくせに、そう思いながら陣平くんの横を歩いた。